2001年9月
ウラジオストクの夜


「ここは本当にロシアなのか?」

ウラジオストクに到着してからここ数日、ずっと違和感を覚えていた。日本から一番近い外国の1つであるロシア。こんな近いところに白人の国があることに、あらためて驚いていた。新潟からウラジオストクまでの直線距離は約800km、飛行機で約1時間15分という近さ。ウラジオストクの街は空港から車で約40分、ロシア沿海地方の州都で人口70万人くらいの港湾都市。1992年までは軍事閉鎖都市として一般外国人の立ち入りはできなかった場所だった。

ウラジオストクの街並みは欧州ともアジアともいえない不思議な街であると、私の旅の同行者は印象を語る。私は欧州へ足を踏み入れたことはないが、両方が混ざり合ったような雰囲気を何となく感じていた。建物や街並みはやはり欧州そのものであろうけれど、市街を走るバスはハングルペイントそのままの韓国車、乗用車やタクシーは10年以上前の日本の車。そんな乗り物がいたるところで走っている。この光景に自然と笑みが浮かんでしまい、妙な親近感をウラジオストクに感じていた。

市内を歩いていると、私はよく中国人観光客に間違えられた。買い物をしていると、ジャスチャーと一緒に「イーガ(一个:1個という意味)?」などと、ロシア人が片言の中国語で私に声をかけてくる。よく周りを見渡せば、ウラジオストクを歩いている東洋人の大半は中国人観光客。日本人を見つけることはそう容易くない。海外で珍しく日本人扱いされないことに新鮮さを感じ、さらに気分が高揚する。

9月のウラジオストクは秋だというけれど、市内の様子から、まだ夏であることを確信する。日差しが思っていたよりも強く、どこからともなく吹く風も夏を思わせる。ビーチでは日光浴と海水浴を楽しむ人々がいて、夜になれば海岸線は露店の明かりが灯り、若者たちが沿道を闊歩する。軽快なユーロビートが流れる野外のイベントなどが週末には催され、何かを吹っ切るかのように、ウラジオストクの若者たちは陽気に踊り、音の洪水の中に身を委ねていく。そんな若者たちの様子を私はただ傍観した。ロシアの短い夏を、「今」を思いっきり楽しんでいるように感じながら。

夜の海岸線を露店の明かりに照らされながら、私たちはゆっくりと散策する。 露店で買ったビールを飲みながらベンチに座って遠くを眺めていると、どこからともなく3人組の子どもたちが私たちの視界に入ってくる。年齢は7~8歳といったところか、男の子2人と女の子1人。子どもたちはニコッと笑うと、私たちが座っているベンチに集まり、「ビーボ(ビール)ちょうだい」と無性に欲しがってきた。その行動に私は戸惑いを隠せなかった。

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