2001年9月
ウラジオストクの夜


同行者は「子どもはビールを飲んじゃいけないからダメ」と一生懸命に要求を断り続ける。でも子どもたちはめげない。この子どもたちはビールの味をすでに知っているのだろうか。さらに私の気持ちは動揺する。

何度かやり取りをしていると、1人の男の子が私の横にちょこんと座り、ズボンのポケットからタバコを取り出す。慣れた手つきでタバコをくわえ、ライターで火を点けて一服。ゆっくりタバコを吸い、ため息をこぼすように煙を吐く。目が合った瞬間、その男の子は私にジェスチャーでタバコを勧めてくれたが、私は顔を左右に振り、目でゆっくり返事を返す。なんだか急に悲しくなってきたけれど、この子どもたちには優しく応えようと、そのときなぜか自然に思っていた。

喫煙することは、体にとって「百害あって一利なし」できっと良くない。それは頭の中でわかっている。でも私は何も言わなかった。その男の子の姿に、彼が見たであろう大人たちの姿が見える。彼が一生懸命に背伸びをして大人の真似をしているように見え、その姿が愛おしく感じる。それはきっと、6歳で初めてタバコを口にした自分と重ね合わせたからなのかな……。

男の子がタバコを吸い出すと、ほかの2人もタバコを順番に吸い出す。 同行者が「この子の親は何をしているんだろう」と、少し呆れた口調で私に同意を求めてくる。私は「うーん」と言葉に詰まる。でも、本当にこの子どもたちの親はどうしているのだろう?

今度は女の子が私たちに「お金をちょうだい」と手を出してきた。同行者は子どもたちに小銭を少し与えたが、私は結局1枚のコインさえも渡さなかった。確固たる信念があるわけではなく、ただひどく動揺して決められず、出すべきか出さざるべきか、ずっと迷った結果、今回の旅先でも出さなかったというだけだった。

女の子に「お金をちょうだい」とせがまれたとき、私は心が決まらず下をうつむいた。そのとき、ふと、女の子の足元が視界に入り、私の視線は釘付けになっていた。

――靴を履いていない!――

彼女の足は生傷だらけで、親指の爪は割れて赤くなっている。男の子の足元にも目をやると、1人は靴を履いているけれど、もう1人は裸足で傷口が赤く見えている。私の心はとても揺れ動いた。罪悪を感じながら葛藤した。私が少しでもお金を渡せば傷を塞ぐことができるのかもしれない。そのお金で靴を買うかもしれないなどと、都合よく勝手に考えたりもした。 けれど私は「お恵み」をすることもなく、子どもたちと別れて歩き出していた。

海岸線の沿道をゆっくり歩いて帰る途中、さっきの子どもたちが先回りをして待っていた。といっても私たちに何かすることもなく、目が合ってもお互いに笑顔を交わすだけ。今度は露店の主人にまとわり付いて食べ物をねだる。露店の主人はいつものように商品である食べ物を少し分け与えている。中には取りつく島もない露店もあるようだったけれど、とにかく子どもたちは一生懸命。あちらこちらに姿を現す。

この子どもたちを育てているのは、この海岸線の露店のみんなかも。でも、冬の間はどうしているのだろう? この場は温かい雰囲気を感じながら、夜の海岸線を後にした。

<2001年10月掲載>