2000年9月
台南の風


台南に来て2日が過ぎた。短い滞在だからといって、決して急がず、のんびりと運河沿いの台南を歩いて過ごす。台湾は蒸し暑いと思っていたけれど、日差しが強くても空気はカラっと乾いているので不快感はない。季節は初秋。でも南国の夏を実感する。2時間以上歩いていた私は、のどがカラカラ。水分補給をしなければと、少し危機感に襲われる。

運河沿いを歩く前、私は台南駅を訪れて、明日の台北行き特急列車のチケットを手に入れていた。大切なチケットをポケットにしまって駅舎を出るとき、ふと、一緒に台南駅で降りた「おばさん」のことを思い出す。それは、高雄駅から出発する列車の中で出会い、台南駅前で別れるまでの間にいろいろな話をして過ごした旅の思い出。そして、私という日本人が心を揺さぶられる懐古的な物語。

列車の中で隣席だったおばさんは、車窓からの眺めをていねいに説明してくれるだけじゃなく、昔の日本統治時代の台湾のことを織りまぜながら案内してくれた。あの工場は日本軍が残した施設であるとか、日本が去って中国大陸から来た人々が、おばさんのすべてを奪ったことも、古い時間を感じさせる語り口で話はどんどん進んでいく。大陸から大勢の人が押し寄せたとき、台湾では中国人による窃盗が多くて昔は物騒だったという。「戦争で日本が負けなければ、台湾はもっと発展していたでしょうね」と、笑みを浮かべながら語るおばさんに、複雑な思いが走り出す。

日本という国に対しての想いが、同じように支配された過去を持つ韓国・朝鮮の人々と、なぜこんなにも違うのだろう。 日本が台湾を統治した時代、もちろん台湾人は日本人に差別を受け、日本語学習を強制された。戦争で無理やり徴兵され、日本軍として中国大陸で戦った人もいたはずだ。なのになぜ? 「それはきっと、その後の中国大陸(国民党)支配がひどかったから」と、私はすぐに自分の頭の中で答えを出す。そして、何かの本に書いてあった「犬が去って豚が来た」という言葉も同時に思い出す。韓国・朝鮮とはたどる歴史が違っていたのだから仕方がないと思いつつ、もう一方では、何かスッキリしない自分自身の気持ちが、のどの奥で言葉を詰まらせていた。

台南駅から市街地を抜け、運河街を通り過ぎ、私はひたすら歩き続けている。大量の汗をかいてTシャツはびっしょり濡れてしまったけれど、蒸さない気候と心地よい風が不快感を与えない。南国の日差しはとても強く、汗で冷えた私の体をあっという間に加熱して乾かしてしまう。どこかでのどを潤おそうと飲料店を探してみるけれど、なかなかお店は見つからない。

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