1997年3月
はるか彼方、香港調嶺領


香港島へ向かうスターフェリーの中で考えていた。マカオで得た情報では、目的地は関係者以外立ち入り禁止のパーミッションエリアになっているかもしれない。開発のために住民は強制退去されられて、もう誰もいないんじゃないかと。

輝く海の向こうに見える香港島の高層ビル群を眺め、自分自身に暗示をかける。噂だけで済ませるのではなく、きちんとこの目で確かめる。目的地がなくなっていようとも。それが約束を果たす最低条件だ──

「無駄足になるだろう」というネガティブな思考を頭の隅に追いやりながら、こんなちっぽけな冒険でも自分自身を奮い立たせないと私はダメなのかと、心の中で苦笑する。ホント、我ながら情けない。

中国に返還された後の香港は、一体どのように変わってゆくのだろうか。何を得て、また何を失うのだろか? 人々は勝手にああでもないこうでもない、と噂をしている。しかし、確実にいえることは、香港と中国を分けていた境がなくなる、ということ。日本人の私にとって、国と国の境がどのようになっているのかは、とても興味深かった。今年の7月には、もうその姿が見られなくなってしまうのであれば、ぜひ、記憶の中にとどめておきたい。そういう理由も1つあって、私は香港を訪れていた。

中国と香港の国境を、しっかりこの目に焼き付けた後、私はもう1つ、香港が中国に返還されたら消えてしまう場所を目指すことにした。その場所は調景嶺。台湾の国旗「晴天白日旗」と英国領香港の「ユニオンジャック」がたなびく村を、私は今、目指している。

今から50年以上も前に、中国大陸で内戦があった。中国共産党に敗れた国民党と一緒に、大陸から渡ってきた人たちがいる。そういったほとんどの人たちは、台湾へ逃れたが、香港に逃げ込んだ人たちもいた。中国が「中華民国」から「中華人民共和国」へ建国後、英国香港植民地政庁が、行き場をなくした国民党の人たちを集団移住させた地が、香港の調景嶺──今はもう埋め立て工事の真っ最中かもしれない。

フェリーの中で、自分自身はなんて酔狂なヤツなのだろう、と笑っていた。なぜなら、今から目指そうとしている調景嶺は、知り合いの台湾人から話を聞いただけの場所だったからだ。彼自身もその両親も訪れたことがないという調景嶺。そこに彼の祖父母がいるらしいという噂だけ。「よかったら、調景嶺という場所、どんなところなのか、見てきてください」彼のその言葉の裏に、何か感じたことを覚えている。まだ見ぬ地への期待というか、会ったことがない祖父母への憬れのような……。

私が乗ったスターフェリーは、やがて香港島の船着場へ到着した。「さて、行くか……」と、私はフェリーのシートからゆっくり立ち上がる。調景嶺を目指すために。

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