1996年5月
宮古島・楽園の憂鬱


結婚披露宴から2日後、私は友人宅でお昼ご飯をご馳走になる代わりに、午前中の畑仕事を手伝うことにした。車のナンバーが付いていない軽トラックの荷台に揺られて、さとうきび畑で汗をかく。そして予定通りに友人宅へお昼に到着。古い家の台所にある神棚のようなものに、お婆ちゃんが手を合わせ、何かを唱えている姿を目撃。彼のパートナーに「あれは何?」と小声で私は質問する。

あの神棚は火の神(ひぬかん)と呼ばれる家の守り神で、お婆ちゃんは家族の健康を祈っている。宮古島のほかの沖縄の島々でも、火の神を祀るのは主婦の務めらしい。

彼のパートナーの彼女は本土の出身。結納のとき「実家の水を持ってくるように」といわれ、この神棚に水を供え、「この人が嫁としてこの家に来ましたよ。よろしくお願いします」と、守り神にお願いする儀式もしたことを、食卓を囲みながら、お婆ちゃんがゆっくりていねいに話してくれた。

翌日の夜、友人夫婦と一緒に、私がリクエストした島の民謡酒場へ連れて行ってもらう。お店の外見は本土にあるパブやスナックと同じで、店内に入ると、ちょうどうら若きフィリピーナによる情熱のダンスタイム中だった。友人いわく、ここは民謡スナックといわゆるクラブのノリ(?)が融合した、ひと味違う民謡酒場ということだ。

「島には娯楽が少ないけど、いろんなお客さんが来るの。だったら、皆に楽しんでもらうのがいいじゃない」ちょっとホモっぽい口調のマスターに案内されて、用意された奥の席に座り、しばらく呆然とする。ダンスが終わると、有線放送をBGMにご歓談タイム。そのあと、ようやく円熟のステージが繰り広げられる民謡ライブが始まった。

沖縄民謡のすごいところは、唄や踊りもそうだけど、民謡が日常で生きているということだ。本土の民謡はお年寄りの愛好者が趣味でやっていたり、芸能の「保存」という形で存続しているけれど、沖縄では新曲のリリースが早く、一種の流行となっている。ステージを見て、沖縄には民謡のベストテン番組があるというのも納得できる。しかも、あのホモっぽかった店のマスターが、いつの間にか衣裳を替えて、マイク片手にお客さんからのリクエストを交えながら、民謡ライブを進行させていく。場内のお客さんは不思議と静かで、じっくり唄に耳を傾けるといった感じだ。

ライブの中で、「とーがにぃあやぐ」という唄に、神秘的な言葉と旋律を聞いていて、どこか不思議と惹かれていく。この唄はもともと祈りの唄で、即興的にその状況で歌われる。日常の交わせない想いや感情などを自由奔放に、恋愛、自然、神、生きざまなどを唄ったものが、「あやぐ」という形で現在も唄われていると、店のマスターは説明してくれた。

店のマスターは、「宮古島の歴史が、自然とあやぐ(祈りの唄)になったのかもしれませんね」と最後に付け加える。その言葉を聞き、私は昨日の畑仕事の帰り道に見た風景を思い出していた。

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