もっと世界と現実を旅して知った方がいいと思うよ
2011年3月以降、あんまりな世の中なので、ちょっと言いたいことがありまして。
2011年3月に発生した東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故を経て、これを書いている2014年5月までには、いろいろな事件と騒動のニュースがありました。直近の話だと、台湾学生による立法院占拠、ウクライナの動乱とクリミア半島の情勢、南シナ海での中国とベトナム、フィリピンのにらみ合い……etc。
そして日本では2014年5月に、漫画「美味しんぼ」問題が各方面に波紋を広げました。今からお話する内容は、そのニュースを受けて、そういえば昔、こんな思いとか、旅先で自問自答を繰り返していたよなーという、若かりし頃(?)のお話です。
※2014年5月の「美味しんぼ」問題については、ここでは特に説明も解説もいたしませんし語りません。知りたい方は、まぁ、適当にググってくだされ(笑)。沖縄・北谷町(ちゃたんちょう)でのことを思い出す……
沖縄本島の中央西部にある北谷町を1997年の3月に旅した時の話で、ここにはアメリカ空軍の嘉手納基地(嘉手納飛行場)があります。東京・羽田空港の約2倍、成田空港と同じくらいの敷地面積がある国内最大級の飛行場で、北側は嘉手納町、東側は沖縄市、南側は北谷町の3つ地域にまたがっています。
当時、基地の地元の1つである嘉手納町では、従来の基地行政から、基地の整理縮小→基地の全面返還へと方針を大きく変えまして、それが東京でも大きくニュースに取り上げられていた時代。基地の騒音問題や軍人・軍属によるレイプを含む暴行事件などもあり、これを機として「基地はいらない」的な集会とか運動、議論が盛り上がった時代でもありました。
別に、そういう時期だから沖縄を選んで旅したわけでは全然ないけれど、北谷町という基地の町へ出かければ、いや応なく、ところどころで「今この地で起きている基地問題」に触れることがあるわけで。それは「騒々しい主張」もあれば、「静かに語らず」みたいなものまでありまして、この時に初めて「メディアが報じるものって、圧倒的に前者が多くて、後者には全然触れないよね…」と。
まぁ、情報を流す側、取材する側からしたら、後者の「静かに語らず」は文字通り、基本は何もしゃべってくれないわけだから、それこそブルース・リーの映画の名言「Don't think, feel(考えるな、感じろ)」の世界。それはとても地味かつ面倒で、時間と手間がかかるものだから、センセーショナルな「騒々しい主張」とか「声の大きい人」ばかり取り上げちゃう、時にはそのように仕立ててしまうんだね……と、報道というものに対して初めて大きなショックを受けた出来事でもありました。
※紹介するのも恥ずかしいけど、その一部のエピソードが、このホームページに書いた「1997年3月 沖縄基地の軍属の娘」という話です。(←今になって読み返すと、本当に若かったわ、オレ(笑)「正義」よりも、身近なことのほうが大事で切実
基地から遠く離れていたり、自分の生活に基地があってもなくても影響しない、身近で「静かに語らず」の場面に遭遇できない(あるいはそれに気付かない)人にとっては、沖縄の基地問題って、どうしても義憤とか正義という大きなもの・大義名分が行動原理になってしまうのだろうけど、私自身はこの1997年3月の沖縄の出来事で、「正義」とか大きなものよりも、身近な「幸福・幸せ」という小さなものに基準がシフトしていったように思います。それは振り子のように反動でむこう側へ一気に行ってしまった(?)わけではなく、徐々に少しずつ、長い時間をかけてジリジリと目盛を修正した(された?)感じで。こうなったのは無論、歳を重ねて丸くなったせいもあるでしょうけれど(笑)。
私が学生の頃、ここで話した沖縄の基地のことや、戦争とか原爆のことは、知識ばかりの「理念」とか「正義」という原理のもとで、それを声高に叫んでおりました。自分たちは問題意識がある、正しい見方をしている、(世の中にとって)いいことをしているとさえ思っておりました。
デモや集会には今までも参加したことはないけれど、声を上げたり、それに賛同・応援することは、総じて「よいこと」として信じて疑わなかった。だけど、その問題意識には、そこに暮らす人たちの声はなかったし、まして、それを聴いたりすることも全然なかった。先に語った1997年3月の沖縄を旅行するまでは。
沖縄の基地返還とか、核兵器廃絶とか、わかりやすいスローガンでは語り尽くせない複雑な現実や事情があるはずなのに、そういうことには思いが至らず、自分たちの掲げる主張、「正義」が正しいと信じていた。その「正義」が、そこに暮らす人たちを深く傷つけていたかもしれない、深い悲しみや絶望感を与えていたかもしれない、ということは、あの時まで全く気付いていなかったんだよね。
当事者たちが声を上げず、「静かに語らず」だったわけ、なぜ語ろうとしなかったのか、遠回りをしながらも、少しずつ気付いていった1997年3月の沖縄の出来事。わかりやすくニュースで取り上げられるような、一方的な(思い込みの)「正義」の前に、自分たちの現実の声はかき消され、「あなたたちは何もわかっていない」とか「あなたたち(あるいは子ども)の未来を救いたいのだ」なんて言われてしまうことの絶望感。このストレスについても想像してほしいよねぇ……。
世界はそんなに単純で簡単じゃないよ
こういうことって、それこそ(不幸にも)当事者になったり、身近な出来事として(言われる側を)経験しない限り、そのことに気付かずに済んでしまうことかもしれない。そして、なるべくそういうことに気付かない人生を送ることが、実は「幸せ」なのかもしれないな~とも思えるのではありますが、私自身はそのことに気付くことができて、このまま一生を終えるであろうことは、まぁ、よかったと(一応、前向きに)思ってはいますけど。
世の中をわかりやすい対立構造で単純化して、それだけでモノを見ない・考えない方がいい。特に「これが真実だ」なんて語るものは、たいてい一方向の(限定された)事実やその誇張に過ぎず、事の全容ではないのだから。まして、危機や危険性を訴えるような反対の主張・正義というものは、それを強調する傾向が高いからね。逆も然りで。それらを少しでも見られるようになるといいと思うよ。どの国や地域の人だって、それぞれの思惑で動くものだからね。
最後に、タイトルが「もっと世界と現実を旅して知った方がいいと思うよ」としていますけど、これは何も旅行しなくちゃいけないって意味じゃーありません(笑)。普段の日常でも世界や現実を知ることはできますので。たとえば、ファミレスや居酒屋、スーパーや病院の待合室など、みんながどんなことを話しているのか静かに聞き耳を立てたりするだけでOK。目的があって調べる勉強とか集める情報なんて、結構バイアス(偏り)あるものですよ。現実に立脚しない問題意識と運動は支持も広まらないし成功しないと思うよ。「戦争反対!、○○反対!」とか「言論(あるいは表現)の自由」なんて言葉が、思考停止や対話拒否の言い訳によく使われているような気がするのは気のせいかな?