2008年5月 シルクロード浪漫紀行ウズベキスタン7日間
十数年来の旅行が実現! 人生初の完全フルパッケージツアーも体験!


昔、旅行計画を立てたことがあるウズベキスタン。当時、旧ソ連式のバウチャー旅行の面倒さに、私、挫折しておりました(笑)。いつの日か、自由に旅行できる日も来るさっ!と、自分自身を慰め、時は流れ、その存在をすっかり忘れていた十数年後、たまたま見ていた旅行パンフレットに「ウズベキスタン」の文字を発見。

「今ではパッケージツアーで行けるところになったのだなぁ……」

……そんなことを静かにしみじみ思っていたら、私の中でウズベキスタンへの旅行熱が再燃! さらにこの機会に「添乗員+現地ガイド付きの完全フルパッケージツアー」を体験してみようと、あまり深く考えず(?)に申し込みをして行って来てしまいました。

アミール・チムールが愛した町
青の都・サマルカンドとシャフリサブズ

ウズベキスタンは1991年のソ連解体とともに独立した若い国。中央アジアに位置し、北西に塩湖の「アラル海」、そのアラル海にそそがれる中央アジア有数の大河「アムダリア(川)」が南西国境沿いに流れ、ステップ(半乾燥の平原)と砂漠に覆われています。

夜、首都のタシケントからウズベキスタンへ入り、観光は翌日のサマルカンドから始まりました。抜けるような空の青さに、モスクの青いドームがよく映えて美しく、とても印象深かったです。

2500年の歴史を持つ神聖なるブハラ
砂漠のオアシス都市のチャイハナでのんびり過ごす

シャフリサブズからバスで約4時間走り、シルクロードのオアシス都市・ブハラへ入りました。サマルカンドの青いイメージの町並みから、全体的に茶色のイメージに変わり、町並みから「砂漠の中にある都市」の感じが伝わってきました。

ブハラへ到着したバスの窓から見えるオアシスの池をぐるっと取り囲んだチャイハナの賑わいに心を奪われ、ブハラ滞在中は時間さえあれば、ここでひとりお茶して過ごしていたような気がします(笑)。

ブハラはアミール・チムールが生誕する400年以前の昔、中央アジア初のイスラム王朝が発生した地。かつては360のモスクと80のメドレセ(神学校)があったそうです。そのほか、38のキャラバン・サライ(隊商宿)、6つの交易所、16のハンマム(公衆浴場)、45のバザールもあったことから、ブハラはシルクロードの時代に商業的な拠点だったこともうかがわれ、観光ポイントの旧市街はその時代の雰囲気を感じさせる町並みでした。

きちんと舗装された道から旧市街の小道に入ると、ツアーで泊まる新しくて設備もきれいなホテルよりも魅力的な古い民家を改装した宿が建ち並んでいたり、洗濯を干す様子や、子どもたちが道端で遊ぶ様子がフツーに見られて、思いのほか良かったブハラ滞在となりました。

私的に一番の不安事項だった「乗り物酔い」をすることもなく、キジルクム砂漠を越えるバス移動も楽しかったです。

中央アジアの真珠・ホレズムの都ヒヴァ
首都タシケントはロシアの香り?

ブハラからバスで約8時間、ヒヴァへ入ったのは夕方でした。到着する15分くらい前、バスの車窓にはヒヴァのミナレットが遠くに浮かび、目的地が近いことを予感させました。またこの景色は同時に、「ミナレットは地上の灯台」でもあることを実感させました。ミナレットは「旅人の目印」でもあることに、きっと今も昔も変わりはないのだろうなぁ……と、しみじみ思ったことをよく覚えています。

首都タシケントから、第二の都市サマルカンド、シャフリサブズ、ブハラ、ヒヴァと訪れた今回の旅順は、なかなか良かったと思います。日本の都市から飛行機に乗り、ウズベキスタンの首都へ降り立って、いきなり中世の世界へ飛ぶのではなく、ゆっくりと時間をかけて都会から離れて行く旅の「醍醐味」を久しぶりに味わうことができました。

特にヒヴァは、私の心に刻まれる都市の1つになりました。それは古代ホレズムの城壁都市が美しかったからではなく、ブハラからキジルクム砂漠を越えてヒヴァへ到着したその日の夜、ホテルの部屋でひとり、今回の「旅の終わり」を強く感じた都市だったから。旅が「終わる」ということに対し、少しナーバス気味というか、感傷的な気分にさせられた都市だったのです。

ウズベキスタン滞在の最後はタシケントでのんびり観光しました。早朝から出歩くこともなく、あまり欲張らずにホテルのまわりをひとり歩き。タシケントに着いた夜から「帰国モード」に入っていたせいか、信号待ちの交差点の風景でさえも、ちょっと愛しく見えてしまい、不覚にも「うるっ」と涙が出てきてしまった私でありました。


※参考までに今回の旅程など

当日のおおまかな動き(旅程)
1
[午前]成田空港からHY便で(関空経由)[夜]タシケント入り
【夕食は蒸し餃子(饅頭?)のようなマンティ】
ロシアとウズベキスタンのビールを飲み、夜の街を出歩かずに早めに就寝!
2
[朝]タシケントから特急列車で[昼]サマルカンドへ移動
ホテルチェックイン後にグリ・アミール廟を見学
【昼はレストラン風(?)の民家でシュルバ!】
[午後]レギスタン広場→ビヒハニム・モスクを観光後→バザールでお買い物→シャヒ・ジンダ廟群(入場せず)
【夜はローストビーフが目玉のビュッフェ】
その後、夜のレギスタン広場へ行き、光と音のショーを見る。
3
出発前にひとりサマルカンド散策(1時間半)
ルハバット廟→グリ・アミール廟→チムール像
[朝]サマルカンドからバスで[昼]シャフリサブズへ移動→アク・サライ宮殿跡を観光(高さ38mの宮殿跡アーチを登る!)
【昼はレストラン風(?)民家でディムラマ!】
[午後]ドルス・シアダット建築群→ドルス・ティリャヴァット建築群を観光
[夕方]バスでブハラへ移動[夜]ブハラ入り→ホテルへ
【ホテルのレストランで夕食】
その後、ひとりで夜のブハラを散策し、ラビ・ハウズでビールを飲む
4
[朝]ホテルからバスで→イスマイル・サマニ廟→チャシュマ・アイユブ→ボロ・ハウズ・モスク→アルク城を観光
【昼はラビ・ハウズでラグマン!(汁なし)】
[午後]カラーン・モスク→カラーン・ミナレット
(高さ46mのカラーン・ミナレットを登る!)
ミル・アラブ・メドレセを観光後、タキ(バザール)でお買い物しながらホテルへ戻る(休憩)←こっそりひとりラビ・ハウズでビール休憩(笑)
ナディール・ディヴァンベギ・メドレセを観光→入場して夕食会場へ
【民族舞踊ショーを観ながらプロフ!】
その後、ひとりでワインテイスティングの店→ラビ・ハウズでチャイを飲む
5
出発前にひとりブハラを散策(1時間半)
ラビ・ハウズ→旧市街→タキ→カラーン・モスク横の市民朝市(?)を見学。
[朝]ブハラからバスでひたすら西へ(キジルクム砂漠越え)
【昼はチャイハナでウォッカとシャシリク!】
[午後]再びバスでひたすら西へ移動[夕方]ヒヴァへ到着→ホテルへ
【ホテルのレストランでビュッフェ】
その後、夕暮れのイチャン・カラを散策
6
[早朝]ひとりイチャン・カラを散策
[午前]イチャン・カラ南門から入場→東門のバザール→西門→カルタ・ミナル→キョフナ・アルク→パフラヴァン・マフマド廟
【昼は葉(野菜?)を練りこんだラグマン!】
[午後]イスラム・ホジャ・メドレセ&ミナレット
(ヒヴァで一番高いミナレットを登る!)
ジュマ・モスク→タシュ・ハウリ宮殿
[夕方]お茶しながら民族芸能を観覧
【ちょっと早めの夕食はホテルでマンティ!】
[夕方]ヒヴァからバスでウルゲンチの空港へ
[夜]ウルゲンチからHY便でタシケントへ移動→あとはホテルで寝るだけ
7
[午前]ひとりアライ・バザールを散策
[昼]ホテルをチェックアウト→バスで昼食会場へ
【昼食は中国主席も訪れた中華料理店!】
[午後]バスでバラク・ハーン・メドレセ→クカルダシュ・メドレセ→ナヴォイ劇場から徒歩でブロードウェイ散策→チムール広場
[夕方]バスで夕食会場のレストランへ
【夕食はウグラと挽肉ケバブ?】
夕食後、バスに乗ってタシケントの空港へ
[夜]タシケントよりHY便で機内泊→[翌朝]成田空港へ到着・帰国

今回は人生初の完全フルパッケージツアーでウズベキスタンを旅行。JTBの「旅物語」を利用しました。エアとホテル、移動の列車とバスや食事のレストランまで、本当に何もこちらで手配することもなく、超ラクな旅行でありました~。
(フルパッケージならこれは当たり前なのだろうけど)


※「旅物語」もしく「中央アジア」と「ウズベキスタン」で検索!
※「旅物語」もしく「中央アジア」と「ウズベキスタン」で検索!

宿泊先のホテルは、サマルカンドでは「アフラシャブ・パレス」、ブハラは「アジア・ブハラ」、ヒヴァは「アジア・ヒヴァ」、タシケントでは昔シェラトンだったらしい「マルカジ」です。どのホテルもスタッフの対応はよかったと思うけど、旧ソ連圏のサービス感覚(仕事に対する感覚?)が残っているので、目の前に客がいても時間になったら窓口を閉めるような部分もありましたね(笑)。←日本人的にはかなりショック

<2008年5月30日掲載>