2007年2月
中国の天安門広場に立つ
毛沢東の肖像画が掲げられている天安門をくぐり、故宮博物院(紫禁城)を見学する。天安門広場より、ここにいる人民の数の方が少ないように感じられる。ひと通り見学して、北の神武門から外に出る。その後、北京の繁華街である王府井をぶらぶら歩き、夕方、再び天安門がある方向へ、私たちは歩いて行った。
天安門へ続く長安街の道。この道も、あの天安門事件の舞台だった。事件の痕跡を残すものは何もないけれど、ここもそうだったのだと、歩きながら思い出す。
まるで映画の一場面のように、機関銃を構えた兵士たちが大通りをずらりと並び、戦車が次々と地響きを立てて進んで行く。抵抗した人々が銃弾に倒れ、逃げ惑う人の群れが、うねる波となって、通りという通りを埋め尽くす──
天安門が近づくにつれ、私の中に、何かストレスのようなものが溜まっていった。楽しいはずの旅行なのに、何やってんだよと、心の中で文句を垂れる。沈んでいく自分の気持ちが嫌になる。
空は日没の前。天安門の前を横切ろうとした私たちは、その途中で銃を持った武装警察の隊員に「戻れ」と押し戻され、目の前に一本のロープを引き渡した。
「ちょうど国旗の降揚式か……」
道路の向こう側には真っ赤な夕陽。あれが落ちる頃に式が始まる。あと10分か15分くらい、ここで日没を待たなければ先に進めない。私たちはしばらく天安門の向こう側へ渡ることができなくなってしまった。
そんな中、早く家に帰りたい一心だったのか、ロープを越えて向こう側へ渡ろうとした人がいた。5~6歩くらい歩いたところで、叱責するような甲高い声とともに、その人の前に私たちへ「戻れ」と言った武装警察の隊員たちが現れた。
その場で私は凍りつく。ほんの一瞬だったけど、その時の武装警察の隊員らの形相と銃口を突きつけた姿が、確実に私の網膜に焼き付いた。
中国にとって天安門広場の中国旗は特別なもの。中国では国旗法というものが存在するという話を聞いたことがある。武装警察の隊員たちが銃口を向けたのは、そのためかもしれない。自分の内にある恐怖と嫌悪を抑えるために、私は自分自身を納得させようと必死になっていた。
降揚式を見学しようと、私たちの周りに多くの人民が集まり、私たちの目の前にお構いなしに割り込んでくる。私は少しばかり自分を奮い立たせて、これ以上の割り込みをさせないように抵抗を試みる。集まってくる人民にくじけそうになり、何度も「負けるものか」とつぶやきながら、時々、微動だにしない武装警察の隊員たちの顔をじっと見つめていた。