2005年9月
鹿港、たそがれの町で


左右にくねくねと曲がっている九曲巷という路地をゆっくり歩く。カーブが急で、曲がった先が全く見えない路地に少し困惑しながら、ゆっくり慎重に歩いていった。きっと、外部の人を寄せ付けない造りなのだろう。地図を持たず、赤レンガ色の路地をずっと歩いて行くと、赤レンガの色は懐かしさから寂しさへ、あたたかくもあり、冷たくも感じられてきた。

平屋ばかりが続く路地に、珍しく大きな屋敷が目に入る。庭を見下ろすような丸い飾り窓に、不思議と目が釘付けになった。その屋敷の目の前を歩き、立ち止まって丸窓を見上げる。窓の下には老木が生えていた。のちに、この屋敷が「意樓」であることを知る。

大陸へ科挙(昔の官史の登用試験)に行った夫が残していった楊桃樹(スターフルーツの木)の生長を夫に重ね合わせ、窓から木を見守りながら夫の帰りを待ち続けた妻の伝説がこの屋敷には刻まれていた。ふたりは再会できぬまま、木は大きく育ち、たわわに実がなっていたという。

立ち止まってしばらく屋敷を見上げたあと、歩き出そうとしたら、足元には龍山寺の犬がそばにちょこんと座っていた。目線が合い、数秒間じっと見つめる。どうしてこの犬は私のあとをつけてきたのだろう? これも何かの縁と思い、鞄の中からクッキーを1枚、お恵みした。

微妙な距離を保ちながら、犬と私は一緒に鹿港を散策していた。私が歩くと2~3m後ろを歩き、立ち止まって振り返ると、顔を上げてこちらをじっと見る。この繰り返し。次第にすれ違う人も多くなり、雑踏の音が聞こえてきた。道行く人も振り返る。それは私に対してなのか、それともこの犬なのか。何かヒソヒソと話が聞こえてくる。ちょっと恥ずかしい。それでも犬は同じ距離で私の後をついてくる。自然と体中の緊張が解け、私は赤レンガの寂しさから解放されていた。

赤レンガの家並みが続く古街区を抜けて、鹿港の天后宮を訪れる。龍山寺から一緒に歩いてきた犬は、天后宮の手前で地面にゆっくり伏せてしまった。境内を包んでしまうかのような線香の白い煙とその匂いが苦手なのかな。そんなことを思いながら、私はひとり天后宮へ入って行った。そして戻ってくると、犬はもういなかった。ほかの誰かを見つけたのだろうか。旅の同行者を失い、ほんの少しだけ落胆した。

鹿港は、本当にのんびりとした小さな町だった。由緒ある古い寺院が多く残り、昔の繁栄が感じられ、クスノキの香りが街中をかすかに漂わせていた。

夜、天后宮に掛けられた提灯が一斉に灯る。吹き渡る風が心地よく体を包み、訪れた場所や巡り会った人の記憶が、温かく心に染み渡る。

もちろん、あの犬のことも私は思い出していた。

<2005年12月掲載>