1998年2月 韓国の汗蒸幕で数え唄


「お前も2万3千ウォンか?」
汗蒸幕のドームから出て、床でごろんと横になっていたとき、現地の韓国人から質問されて、ひどいショックを受けていた。なぜなら私は、その4倍近いお金を汗蒸幕の番台に渡して今ここにいたからだ。

番台から料金を提示されたとき、あまりにも情報と金額がかけ離れていた。ディスカウントを要求してみたけれど、番台は全く聞き入れてはくれなかった。私は外国人にすぎない。韓国の経済習慣に従うしかない。それに、番台のおじさんが注文を受けてくれないことには、 私が希望する汗蒸幕は実現しない。

だから仕方なく「OK…」と気弱く返事をしたけれど、こんなに差があるなんて……。私の気分は沈んでしまった。

汗蒸幕のドーム前で次の順番を待っていると、お客さんの韓国人たちは気軽に声を掛けてきたりしてくれる。私は韓国語がわからない。喋れないことにもどかしさを感じる。返す言葉が思いつかず、つい「イルボンサラム(日本人)」と言ってしまう。

すると「おお、イルボン、イルボンね」と、笑いながら麻袋を渡してくれる人、関係なく韓国語で喋り続ける人、遠くから私の様子を見ている人、そして、その場から離れる人。そんな状況に戸惑いながらも、数十人の地元の人に混ざって、再び汗蒸幕のドームの中へ入って行く。

汗蒸幕のドームの中は円形状の石室で、陶器を焼くときに使う「登り窯」のような造り。ドームの扉をくぐった瞬間に感じる熱は、落ち込んだ私の気分も一気に加熱する。肌が焼け、骨まで染み込むような熱に、ほんの少しの時間だけ痛みを感じたけれど、すぐに全身の毛穴から汗が流れ出し、苦痛から快感へと変わってゆく。落ち込んでばかりもいられない。気分を切り替えようと、修行僧にでもなったかのように、私は汗蒸幕の熱に耐えようとする。

熱が身体の芯まで通る汗蒸幕の中で、心地良さを感じながら、まわりを見渡す。麻袋を被って座り込んでいたり、麻袋に寝そべっていたり、何か話込んでいる人たちもいる。それぞれが汗蒸幕の中で、それぞれに過ごしている。この中で日本人は私だけだからか、それとも、裸になっているせいなのだろうか、不思議なことに、この中では自分が少し「自由」になれたような気がしていた。うまく言い表せないけれど、鎖から解き放たれたように気分が軽い。この中では国籍とか民族なんて関係なく「ひとつ」となって、この汗蒸幕のドームの中に存在できているような気にさせてくれる。

汗蒸幕の薄暗い天井を見上げていると、ひとりのおじさんが唄をはじめた。その唄は同じ音の流れ・リズムの繰り返しで、歌詞が微妙に違うように聞こえる。唄うおじさんの顔を見ると、ふと、恨(ハン)という言葉を思い浮かべる。切ないような 気持ちと言えばよいのか、何とも言えない味わいがある表情に、私の情念が掻き立てられる。

この唄は何なのだろう?

そんな私の様子を見てなのか、向かいに座っている若い人が教えてくれる。
言葉は韓国語だけど、指を一本づつ折っていく動作をしている。

──これは、数え唄だ──

そう思ったとき、いつの間にか唄っている人数が増えていて、汗蒸幕のドーム内で大合唱となっていた。みんなで唄を歌いながら、この灼熱の汗蒸幕を一緒に楽しく乗り切ろうといった風なのか。この瞬間、「ここへ来て良かった」という気持ちで一杯になった。さっきまで落ち込んでいたことも、「この瞬間のための代償だと思えば」と、少しポジティブに考えられるようになっていた。

<1999年3月掲載>