1997年7月
木曽で抱いた淡い恋心


中津川から落合宿までをバスで移動して、そこから歩いて馬籠宿、峠を越えて妻籠宿へと歩いて行き、南木曽から列車で木曽福島へ入る。夕方にそこからバスに乗り換えて予約した宿を目指す。陽はまだ落ちてはいないけど、山々に囲まれている上、歌人が「谷底の町」と詠んだこの町は、夕映えに染まる山々とは対照に夕闇に蒼く暮れてゆく。バスは谷底の川に沿うように、ゆっくりと宿場町から離れ、山の方へと登って行く。

宿に到着して、誰もいないフロントに声を掛ける。しばらくして、奥の方からスウェット姿の女性が出てきて応対してもらう。あらかじめ、予約の電話とファックスを入れていたことを伝えたが、どうも記録が残っていないらしい。仕方なく、予約ファックスの文書をリュックサックの中から取り出して、その文書を確認してもらう。そのまま淡々とチェックインの手続きを進めてもらう。

平日の夜、この宿に泊まる客は私のほかに、オーストラリアから来た外国人の親子と、ひとり旅の女の子だけ。夕食後、宿泊客の全員が不思議と談話室に集まって、お互いのこと、これからのそれぞれの旅のことについて話し合い出していた。そこにスウェット姿のフロント女性がお茶を持ってきて話に加わる。相変わらずのスウェット姿のままだったけど、その女性の話は面白く、宿泊客同士を上手につなげる見事なものだった。スウェット姿のフロント女性はその会話の中で、私より5歳くらい年上のお姉さんであること、インターナショナルスクールに通っていたことを明らかにし、外国人宿泊客とのコミュニケーションも巧みな会話術は、おそらくここから来るものだろうと勝手に想像する。また、どうやらスウェット姿のフロント女性の本職は、どうやら小学校の教師のようだ。9月には教師として戻るらしく、今は住み込みでこの宿のお手伝いをしているということだ。

翌朝、スウェット姿のフロント女性とオーストラリアの外国人の親子、そして私で食卓を囲む。外国人の親子は今朝の出発で、ここから今日は飛騨高山を目指すらしい。この親子を宿の玄関口前でお見送りする際に、「昨日はいろいろと話すことが出来て楽しかった」というような感謝の言葉を言われて私はうれしくなる。親子は丁寧にお礼を言って出発していった。親子の姿が見えなくなったころ、スウェット姿のフロント女性は「どうして外国人がそういう台詞を言うと、カッコイイのかな?」なんてことを私に聞いてくる。

午前中から積極的に歩き回り、少しバテ気味になっていた。友人への手紙も書きたかったので、この日は早めに宿へ戻ることにした。宿に着いてフロントから呼び掛けてみたけど返事がない。仕方なく、部屋に荷物を置いてから手紙を持って宿の談話室へ向かった。すると、談話室からテレビ番組の音声だけが聞こえてくる。部屋に入るとテレビ付近には人が見当たらない。何気なしにテレビが置かれている方の席に座り、ふと、その反対側に目を向けると、スウェット姿のフロント女性が私に背中を向ける形で横になっていた。どうやら、まだ昼寝中らしい。スウェットの腰の部分から、白い肌がちらっと見えて、目のやり場に困る思いをする。

気になって仕方がないので、ほかに自分の注意をそらそうと私はテレビのチャンネルをガチャガチャ変える。その音に気が付いて、スウェット姿のフロント女性は目を覚ませてこちらを向く。何事もなかったかのように「ただいま」と声を掛ける私。そして、「ごめん、おかえり」と言葉を返すスウェット姿のフロント女性。

テレビ番組は「ロングバケーション」というドラマを放送していた。この手のドラマをほとんど見たことがない私は、スウェット姿のフロント女性の丁寧な解説を聞きながら、このドラマ番組を一緒に見ることになった。番組が終わってスウェット姿のフロント女性は「今夜の夕食は私と2人だけなのよ」と言って、夕食の準備のためにテレビ前の席から退場する。「ふーん、2人だけなんだ~」と動じてないフリをして返事をしてみたけど、女性とふたりっきりで、こういうシチュエーションは今まで実は経験したことがない。

女性とふたりっきりで会話をしながらの食事というものが、こんなに楽しいものなのかと思って心が躍ったけど、自分自身が背伸びをして、何かを演じている自分が同時に見える。そんなことに気が付かなければよかったのにと、楽しい思いとは裏腹に少し後悔もしてしまう。女性からご飯の「おかわり」をもらったりするようなことに慣れていなくて、思春期の子どものように感情が先走ってしまい、たびたび言葉を噛んでしまう。どうしても、ふたりっきりは照れてしまう。そんな様子をからかわれ、自分がこんなに「うぶ」だったとは、我ながらまだまだ未熟だなと照れ笑いしてしまった。

ふたりっきりの夕食後、一緒にテレビを見ていた談話室へ。明日の朝、私はこの宿を出発する。列車の時刻表を眺めながら、出発の時間をいつにしようか考えている。この宿に到着してからの第一印象は悪かったけど、チェックアウトの時間ギリギリまでここに残りたいと思っていた。

「何時に出発するの?」とスウェット姿のフロントの彼女がこちらをのぞき込む。答えに困る私。チェックアウト時間いっぱいまでここにいられる言い訳を必死に考える。今思えば、理由なんて考えず、ただ、「チェックアウト時間ギリギリまで」と答えればよかっただけなのに。

翌日の朝、フロントの彼女とふたりっきりの最後の食事をする。あれから昨夜の談話室では、今日出発の私の旅の計画を、バスと列車の時刻表を照らし合わせながら、スウェット姿のフロントの彼女に、相談にのってもらっていた私がいた。出来上がった旅の計画通りに宿をチェックアウトする。昨日の朝に出発したオーストラリアの外国人親子と同じように、宿の玄関口前で彼女にお見送りをしてもらい、後ろを振り返らずにバス停まで歩いて宿を去る。私が再びこの地を訪れた時には、どこかの小学校の先生に戻って、もうここにはいないのだろうな……。

スケジュール通りにバスに乗り、列車には乗ったものの、しかしそのあと、ほかの場所を観光する気分にはなれなかった。列車の窓から小雨が降る木曽路の風景を、私はずっと眺めて過ごし、やがて列車は木曽路を離れて行った。

<1999年6月掲載>