まえがき(49歳の時に書いたごあいさつ)
保守的になったけど、旅立つ機会は増えてきたかな、とも思うのです。


2008年5月のウズベキスタン、たしかサマルカンドからシャフリサブズへ移動するバスの道中での出来事。私たちが乗るバスに向かって、外から子どもたちが手を振る光景にハッとする。その相手に対しても手を振り返すバスの乗客たち。

そして、中学生だろうか、制服姿の女の子が3人歩いて来て、私たちが乗るバスの誰かと目が合う。彼女たちも同じように笑ってバスに手を振った。あまりにも自然なイベントだったので、きっと子どものころから見慣れた光景なんだろうなぁ。幾度も彼女たちはバスの旅行者に手を振り、また、手を振られてきたのに違いない。

かつて私にもそんな時代があったよなぁ…と振り返る。バスに限ったことじゃないけれど、鉄道の踏切で手を振る小さな子ども、橋の上から手を振る保育園児の集団など、日常と非日常の、一瞬の交差する時間と空間。昔はよくあった気がします。

時には運転士が、軽い汽笛やクラクションで返したり、駅のホームから発車の際に、車掌や駅員が手を振る・手を振り返したりと、業務マニュアル的にはアウトかもしれませんけれど、私としては手を振り返すなどの「合図をする/それを返す」余裕もない人たちは、正直なところ「大丈夫かしら?」とも思うんですよねぇ…。

さて、この前書き(ごあいさつ)を書くのは13年振りになります。
36歳の時に書いたごあいさつから、本当にいろいろな出来事がありました。その中でも2011年3月に起こった東日本大震災はインパクトが大きかった。私の40代の大半は、震災からの復旧と復興にとらわれた時代だったなぁ…と、震災から9年経った49歳の私は振り返ります。

日本政府による東日本大震災からの、5年間の「集中復興期間」が終わり、次の「復興・創生期間」と位置付けた5年間も、あと1年を残すところになりました。合わせて10年間の復興期間、2020年3月現在は「総仕上げ」の段階です。私がお手伝いとして関わる震災復興のプロジェクト仕事も、いよいよ残りあと1つで「完全撤収」の段階に入っています。私が50歳を迎える2021年の3月に(契約)期間満了で離任しなければなりません。

冒頭で書いたウズベキスタンでの「手を振る人」を思い出したのは、2020年3月14日のJRダイヤ改正で、JR東日本の常磐線に残っていた東日本大震災による不通区間が完全に復旧・復興し、運転を9年振りに再開して全線がつながったことがきっかけです。ホームに入る列車と出発する列車に、手を振る人たちの「おかえり常磐線」の映像は、私とってはこれまでの被災地での復旧と復興の現場で見てきた「9年間」を、一瞬でフラッシュバックさせました。

常磐線の全線再開以前にも、震災の被災地では「手を振る人」はよく見かけたし、乗用車で被災地作業のために入る(1人の作業員である)私にさえ「手を振る人」がたくさんいて、あたたかい気持ちになると同時に泣きたくなることも多々ありました。多くの場合、手を振る行為とは、相手に対して好意的でポジティブな気持ちの表れなんですよね。

私は中高年になり、感情の抑制が効かなくなってきました。その反面、自分の気持ちとか感情を伝えること、書き留めることに対しては億劫になっています。行動は保守的で「安全第一」を考えるようになり、本当に若者時代のような冒険はしなくなった。でも、かといって行動範囲が小さくなったわけではなく、大胆さも失われたわけではありません。若者だった頃と今とでは、「質が変わった・質が異なる」ということなのだろうな、と思うのです。仕事においてもベテランとかシニアな位置になり、いろいろな意味で旅立つ機会にも恵まれてきたように思います。

こと、「旅」とか「旅行」に関しても、楽しみ方が変わったな~と思うこと、私はよくあります。これって、仕事やプライベートで出かける旅行は、同じ場所を訪れる「リピーターな旅」が多いせいで、旅行先(あるいは滞在先)を定点観測的に長い期間、眺めてきた影響が大きいのでしょうね(笑)。

旅に出ようかどうか迷っている人がいたら、「迷っているなら行った方がいい」と、そう言ってあげることができると思います。これから旅に出ようとしている人へは、心の中でささやかな挨拶を私は送りいたい思います。

ようこそ、おいで下さいました。
まあ、ごゆるりと、私のつたない旅行話をご覧くださいませ。

<2020年3月掲載>