まえがき(33歳の時に書いたごあいさつPart3)
――原風景の崩壊――


人は必ず「原風景」を持っている。いつまでもその人の記憶に残り、心のよりどころとなる幼き日の風景を。これだけは変わって欲しくないと思っていた。変わることは仕方のないことではあるけれど、ならばせめてその面影だけでも残っていて欲しかった。原風景がなくなった現実世界を直視した後、心にぽかんと大きな穴が開いてしまった。

* * * * *

宿をチェックアウトして地下鉄に乗る。行き先を決めていたけれど、まだ少し躊躇していた。途中の駅で列車を乗り換え、目的地まであと3駅。携帯電話を取り出して私は時間を確認する。ホームに列車が到着して目の前の扉が開いていたけれど、私はまだ迷っていた。

地下鉄駅を降りてバスへ乗り込むために路線案内板を眺める。記憶の片隅にあるバス停名なのか地名なのかわからない名前を根気よく探し出す。行く先は歩いて行ける距離にあることは十分推測できていたけれど、私の記憶を引き出すためにはどうしてもバスに乗り込む必要がある。それらしいバス停名を案内板から見つけ出し、その路線のバスに乗り込んで出発する。

バスが走り出し、停留所の名前がアナウンスされる度に、かすかな古い記憶がよみがえってくる。目的の停留所名がアナウンスされ、見覚えのある風景や建物を窓から懐かしく眺め、記憶の中にある風景と重ねて思い出す。記憶の中の風景に埋没し、降りるはずの停留所で降りられず、次の停留所から歩いて戻ることになってしまった。

記憶の中にある路地の風景を頼りに街の中を歩いていく。普段は歩くスピードが早い私なのに、今日は歩くスピードが自然に遅くなる。記憶を確かめるように1歩ずつゆっくりと。昔はこんなキレイなマンションは建っていなかったとか、こんなところにお寺があったのだろうかなど、戸惑いながら街の中を歩いて行く。

しばらく歩いて、あやふやな記憶の風景と現実の世界が一致しなくなって焦ってくる。似ているけれどここではないと、不安になりながら、さらに街の中を歩いて行く。 やがて、見覚えのある信号機の風景が目に現れた。道路はきれいに舗装され、道の曲がり具合や、建物は違うけれど、その道に沿った街道の風景が、私の古い記憶と再び重なり合う。見覚えのある信号を目指して歩いていく。

信号の手前にある左側の路地に差しかかったとき、20年以上も前の記憶が呼び覚まされる。この路地を歩いて行けば公園がある。私はそこでよく遊んでいた。毎日公園に現れる紙芝居屋さんのお話が大好きで、近所の子どもと違って私にはお金がなくて紙芝居屋さんのお菓子は買えなかったけれど、紙芝居屋さんは子ども達に分け隔てなく見せてくれた。 そんな出来事を一瞬にして思い出す。

思い出した路地に入り、公園があるかどうか一瞬不安になる。まさか、公園自体がなくなることはないだろうと、自分自身を暗示にかけるようにして安心させる。記憶通りに公園が見えてホッと胸をなでおろした。昔は緑色の金網塀で囲まれていたような気がするけど、今は塀がなくて開放的。この公園の名前は「ひまわり児童公園」。今になって初めて知った。

しばらくの間、公園が見える路地の真ん中で風景をぐるっと見渡す。20年以上も前のことだから、新しくなった家屋もいくつか見える。でも風景は変わらない。私の中にある原風景が残っていることに思わず安堵。昔歩いた道をまたゆっくり、確かめながら1歩ずつ歩いて行く。この側に、私の故郷・家がある。といっても、もう家はないはずなのだが、それでもそう思うと胸の鼓動が静かに高まってくる。 あれからもう住む人がいなくなって、他人に土地も家も渡ってしまったことは聞いていた。

もう5年以上も前のことだった。それをこの目で確かめるために、私は5年もかかってしまった。家のあった路地の入り口の前に立ち、懐かしい家々の中に見慣れない新しい家。家のあった場所の目の前に立ち、その新しい家を見上げる。家の中からあたたかい家庭の音が聞こえてくる。その場でしばらく目を閉じて、その場所を後にした。

* * * * *

バス停までの帰り道、ゆっくり記憶を確かめながら歩いて行く。
途中、塀に囲まれた池の中を眺めて立ち止まる。子供の頃は何のための池だったのかわからなかった。20年以上前の私は小さくて、塀の中に池があることを確認だけで精一杯。池の中に何があるかまではわからなかった。

そこは金魚の養殖場。池の中には冬で動きが鈍いけれど、たくさんの金魚の群れ。子供の頃は背丈が小さくて見えなかった池の金魚をじっと眺める。20年以上経って見えるようになった時間を感じ、このとき私の故郷が無くなったという喪失感をようやく実感。体から力が抜け、その場にうずくまりそうになってしまった。

<2004年2月掲載>