まえがき(33歳の時に書いたごあいさつPart1)
――大切な人をこれから失うあなたへ――
どうして私じゃないのだろう……家族からの話を聞いたとき、口に出さなかったけれど率直にそう思った。すでに病人の私でなく、どうして彼が……。神の仕業か運命なのかは知らないけれど、現実は時として理不尽と思える現象を人に見せる。彼もその妻も、きっと病気を治すための手術として受けたはずなのに、手術室の医師は何もせずに再び傷を閉じたという。あとどのくらいの日にちが残されているのだろうか。人はいつか死ぬということはわかっている。けれど、どうして彼なのか。これから残される人のことを考えると、私はいてもたってもいられない。
私は一体何ができるだろう。どうすればいいのかわからない。
今から考えても仕方がないじゃないかと、いつも自分自身に言い聞かせるけれど、それが逆に「考えなければ」という努力に変わってしまう。気になって仕方がなく、聞きたいことがたくさんあるけれど、怖くて口に出せなくて、いつもの癖で無関心と無感動を装ってしまう。
目の前にいる大切な人がいなくなったら、その人はどうなってしまうのだろう。まだその人の大切な人がいなくならないのに、私はそのことをどうしても心配してしまう。先にこんなことを思ってしまう私は、自分に対して「ひどいヤツ」のレッテルを貼る。
「これからいなくなってしまう人と私」の会話はいつもと変わらない。けれど、「これから残されてしまう人」との会話はとても辛い。でもいつか、会話をしなければならなくなるだろう。「これからいなくなる人」に関すること、その当人が「いなくなってから」は、「残された人」と私は言葉を交わさなければならない。そのとき私はその人に何を言うのだろうか。
その昔、残された人に対して「忘れることがその人にとって一番のこと」と誰かが言った。悲しい出来事にいつまでも浸らずに前向きに。そんな状態を「いなくたった人」は見たくないだろう、というような意味らしい。でもそれは、きっと「大切な人」を失ったことのない人が言う言葉。深い喪失感は歳月とともに薄れていくが、決して消えることはない。でも、鋭い刃物で刺すような「無神経な言葉」以外のものを、私はこれから用意することができるのだろうか。
心の引き出しから私自分の記憶を引っ張り出して、それを照らし合わせてみる。その時の私は一体どうして欲しかったのだろう。「いなくなった人」のことばかり考えていたような気がする。その人の「言葉」を思い出し、それが支えになり、その人の「生き方」を真似しようとも思った。
もういなくなってしまったのに、その人のことがさらに知りたくなって、その人の友人を訪ねたことも。「いなくなった人」のことを知っている人に会うのが楽しみで、「いなくなった人」の話を聞くこと、聞いてもらうことが私はとても嬉しかった。話しながら、頬に涙が伝って来ても、それは悲しい思い出だからじゃなく、確かに存在していたことを実感したから。だからきっと嬉しかったのかな。
あと何回、「これからいなくなる人」と私は顔を合わし、言葉を交わすのだろう。その人の傍にいる「これから大切な人を失う君」を私は見ることができるのだろうか。それは君が不憫だからじゃなく、私自身を君に「サトラレ」てしまうのではないかという怯え。私はきっと「これからいなくなる君の大切な人」と、いつも通りにしか接することができない。その人に対して、何か特別に気を使おうとは思わないし、そういう気にならない。ごめん。酷い兄ですまない。でも、これは素直な気持ちなんだ。
悲しみは突然やってくるものとばかり思っていた。
毎日少しずつ「良くない知らせ」が私の耳に入ってくる。準備したほうがいいという家族らに対して、大人になり切れない私は、どうしようもない苛立ちに襲われ、直後に気持ちが落ち込んでしまう。そんな日が1ヶ月ほど続いた。
私は残された人に対して、何か言葉をかけられるだろうと思っていた。5年以上もの間、毎日ずっと彼のそばに付き添ってきた彼女に対して言葉をかけなきゃいけないと必死になって言葉を探していた。けれど、気の利いた言葉が見つからない。こういうとき、何といって言葉をかけたらいいのだろう。
「お疲れさま」
彼女の顔を見たときに、この言葉だけしか出てこなかった。