まえがき(30歳の時に書いたごあいさつ)
――想い出は心の中に――
たくさんの物語には、必ず悲劇が付きまとう。その悲劇というものは、「いつ終わってしまうのか分からない」ということだ。2000年の夏、 「形見分け」を初めてしてもらった。 それを受け取ったとき、目には涙が溢れた。それは私にも思い出があるもので、生前の彼女の手紙も添えられていたからだ。彼女の両親の前で手紙を開けた。涙をたくさんこぼして手紙をにじませた。涙を止めるために、いろいろ自分自身に言い聞かせるけれど、溢れる思いはなかなか止まりません。
私は彼女の両親に案内され、初めて彼女の部屋へ入った。
赤と白のチェック柄のカーテンが、夕日に透けて部屋全体を柔らかく包み込んでいる。この部屋は10年以上も前のままで、彼女が病気のために病院で生活するようになってから変わっていないということだ。きれいに掃除がされている部屋からは、生活臭は感じられないけれど、かすかに彼女の匂いがする。きっとしばらく私は返事をしなかったのだろう。彼女の両親は一言添えて部屋を出ていった。私は彼女のベッドに腰を降ろし、彼女とのことを回想せずにはいられなかった。
私にとって彼女は特別な存在だった。
なぜなら、私の身体には彼女の血が流れているから。
私たちは偶然同じ病院で出会った。私より早くに入院生活を始めていた彼女は、私より2歳年下で、何事も迷わず前向きに考える人。私が手術室へ運ばれる数分前に、看護婦さんと一緒に励ましに来てくれた、その明るさが私にはとても眩しかったこと。彼女の部屋を見回すと、私は自然に思い出す。そして、次々と思い出し始めてしまう。
入院生活が1ヶ月たった8月の終わりに、彼女と同室のおばさんが「夏休みらしいこともなく、終わっちゃうね」と私たちに言ったことがきっかけで、病院での夕食、検診が終わってから就寝時間までの約1時間半くらい、いつものように「病院内を散歩します」と守衛さんに告げて、夜の遊園地へ出かけたこと。公園の街灯が照らす、きれいな風景をじっと見ていた。
今思うと、ものすごい偶然だった。私が退院する日と彼女が家への外泊許可が出た日が一緒だったこと。駅のホームまで一緒に歩いた。いろいろ話しながら歩いたけれど、何を話したのか憶えていない。ごめん。でも、「これってミニデートだよね?初めてなんだ」という言葉に、赤面したことは今でも憶えている。
病室の彼女から手紙が届く。「退院したらやりたいこと」がたくさん書いてあった。手紙を返すとき、宛先をどうしようかと悩み、結局自分で届けに向かった。ちょうど入浴中でしばらく病室で私は待ってみたけれど、時間がなくて帰ることに。入浴室の扉越しに、大きな声で挨拶して帰ったあのとき、たった3~4言だけだったけれど、お互いに恥ずかしくて扉越しの会話がおかしかった(笑)。
急性症状を起こして輸血が必要な手術になったとき、適合する血液が少なくて彼女の血を輸血してもらったこと。私は全く意識がなかったけれど、「あなたに輸血するんだなと思って、何だか不思議な気持ちがした」って後で話してくれた。このことは手術後に初めて知ったことで、ちょっとショックで複雑な気分。妙に意識し出したのは、多分、このころ。
私が退院してから1年後の春、彼女は家から通える病院へ転院。手紙のやり取りが多かったけれど、滅多になかった電話でそのことを伝えてくれた。病気の状態が落ち着いて、回復したことに喜んだ。
それから夏のある日、私が通う病院から電話があった。血液が不足しているので、輸血に協力して欲しいとの内容だった。病院で話しを聞き、簡単な検査後、輸血用の採血を受ける。病院を出ようとエレベーターホールで待っていると、エレベーターの扉から彼女の両親が出てくる。その瞬間、「まさか!?」と事態を把握する。手術室の前で落ち着けない私がいる。
私の身体には彼女の血が流れており、彼女の中には私の血が流れている。
そう思うと本当に複雑で変な気持ちになった。
たくさんの思い出から、いろいろ学んでいった。
柔らかい夕日色に包まれる彼女の部屋で、思い出すままにエピソードが繰り返される。彼女の形見として受け取ったものは、想いを込めたネックレス。それは私が彼女に贈ったもの。そして、手紙の最後にはこう書かれていた。
「気持ちを込めて託します」
初めて彼女と出会ってから、もう10年以上の月日が経っていた。
彼女は今でも10年前のままで、時々私の目の前に姿を現す。
2003年の秋に、私は再び検査入院をした。この病院に通い始めてから、もう18年以上。その間、友人や知り合いからは「病院を代えてみたら」と何度か言われた。「慢性疾患なので継続的な治療が必要だから」と言って、その都度今まで断ってきたけれど、そのうちの10年以上は……。
あらためてこのことを病室で考え、またあの頃を思い出す。結局は忘れない。元の状態には戻れない。色あせることはあっても、何年経ってもきっと私はどこかで憶えている。昔は忘れようと努力したこともあった。でも、それはきっとできない。できるはずもないと諦めた。忘れる必要はないじゃないかと自分自身に言い聞かせた。
繰り返し繰り返し、初めて会った日のことから今までのことを私は病室で思い出す。
苦しくなるときも正直あるけれど、いい加減慣れてきた。