まえがき(28歳の時に書いたごあいさつPart2)
――猫と暮らした日々――


人は自分1人では決して生きてはいけない、とはよく言ったものだ。この言葉をひどく痛感している。でも私は常に集団の中にいると息が詰まってしまう。自分勝手な都合で生きている私は、集団と孤独の両方を行き来することによって、常に世界を見つめ直す。そして自分の世界、心のバランスを保とうとする。あの頃は、たぶん寂しかったんだ。そんなときの来訪者は得てしてうれしいもの。たとえ、それが人じゃなかったとしても。

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持病の腎臓病がひどくなって、アパートを引き払うことになった。長期入院・治療を覚悟して会社員を辞め、実家へ戻ることに決めたのだ。荷物をまとめ、少しずつ引越しを準備する。部屋のものが徐々に片付けられ、ここで過ごした日々の思い出も1つ1つ整理していった。友人、知人たちに別れを告げ、心の準備を整えていくが、どうしても気持ちを伝えられない相手がいた。ひょっとして伝わっているのだろうか。無責任、ご都合主義と言われても仕方がない。私はしばらく自分自身を責め続けていた。

始まりは良く覚えていないけれど、休日のある日、窓際で本を読んでいたときのこと。物音にふと目をやると、3mくらい離れたところから子猫たちが私の方をじっと見下ろしていた。それに気がついた私は、それをじっと見つめてみる。子猫たちは決して私との視線を逸らさない。まるで固まったようにこちらを見つめ続けている。なんだかお互いに威嚇し合っているみたいだな、と思った私は自分から一瞬視線を外す。再び子猫たちが居た方向に再び目をやると、子猫たちの姿はそこにはない。

たしかそんなことの繰り返しだった。きっとそれからだろう。部屋に居るときは、窓を必ず開けるようになったのは。

暑い夜、窓を空けて文机で手紙を書いていたとき。手紙を書いている最中に、窓の方からほんの少しだけ物音が聞こえる。音の方向に振り向くと、1匹の訪問者が窓から入り込み、その場で固まったように私を凝視する。私は胸がドキドキした。触れてみたい欲望にかられる自分を静めようと必死になるが、抑えきれずに私は子猫に近づこうとしてしまう。結果、子猫は猛ダッシュで部屋から出て行ってしまう。1歩踏み出した途端に起こった出来事で、ああ、やはりと、予想していた結果なのに私はひどく落胆した。

冬になると、我が家のコタツは猫たちに占領されてしまう。私が夜遅くにアパートへ帰り、部屋の明かりを点けると、子猫たちがどこからともなくやってきて、我が家の窓の網戸によじ登り「部屋に入れてくれよ」とアピールする。窓を開けた隙間から、猫たちが入り込んでコタツへまっしぐら。すっかり夜の寝床にされてしまう。コタツがない季節は、私が横になっている膝元あたりに寄り添って一緒に寝る。何だか猫たちに認められたのかな?と喜んだ反面、きっとこの猫たちにとって、我が家が一番安全なので利用しているのだな……と、感情を抑えながら自分に言い聞かせる。そう、私は利用されているだけ……と、何度も繰り返しながら。

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まさか我が家で出産が行われるとは想像もしていなかった。コタツの中や、私が寝ている布団の上で、合計3回の出産をされてしまう。その度に私は母猫と生まれたばかりの子猫のために、子育て用のスペースを部屋の隅に作る。そして毎回悩む。「うちはアパートなんだよな……」 私はこの猫たちをペットとして飼っているわけじゃない。しかし、この状況は飼っていると言われても仕方がない。でも、餌は今まで与えたことがない。夜の寝床だけ提供しているんだが……。猫に寝床を提供して、その見返りに私は猫が部屋にいることで寂しさを解消した。そう、猫は私を利用し、私は猫を利用した。ただそれだけの関係なのだが、私は猫の出産という事件で、「ペットを飼う」とは、何をもって定義されるのか?ということにずっと考え込む。でもこれは、我が家がアパートじゃなかったら悩まなかったことかもしれない。

我が家で生まれた新しい生命たちは、常に私を考えさせた。この子たちが健やかに育ってもらうために取るべき行動はすぐに思い浮かんだが、それがこの子たちにとって本当に幸せなのか、私は常に考えさせられた。大人はまだいい。でも、子どもは無垢ゆえに、それを当たり前として成長してしまう。このことが非常に怖かった。外界では強かに、そして強くなければ生きてはいけない。拘束されることなく、自由気ままに生きて欲しいと強く願った。自由と引き換えに、様々な危険がきっと待ち受けている。だから毎回、子猫たちを外界に送り出すときは覚悟が必要だった。

子猫たちが大きくなって、母猫と共に外に出して1日中アパートを留守にする。その日の夜に帰ってくると、いつもの猫たちの姿はなく、いつになく静かな夜となる。そして母猫が翌日部屋にやって来て、落ち着きなく不安な鳴き声を発しながら、部屋中のいたるところを物色する。その様子から事態を察知し、毎回私の気持ちは沈み込む。ここには居ないんだよ、と毎回いつも母猫に語りかける。そして我が家で出産させてしまったことを、いつも後悔してしまう。でもその後悔の念は、傷つきたくない自分を擁護する言い訳に過ぎない。自分の偽善ぶりに苦笑しながら、問題は外にあることを確信する。

後日、近所との会話から、子猫を処分したのは人の仕業であることを耳にする。人にとって動物とは一体なんだろう。ペットとそうでないものとの違いはどこにあるのだろう。これを決めている私たち人間は何者なのだろう。私たち人間から見て、人間中心の社会、物事の見方であることは仕方がないことだけれども、私の目から見て、人間社会に寄り添って生きている者の社会や生活を脅かす、私たち人の在り方は正しいのだろうか……。きっと、「迷惑」と考えたから処分したのだろう。それともほかに何かあるのだろうか。

ただ、いくら猫にとって我が家が安心できる場所だったとしても、ペットではない猫にとって、人という存在を恐れさせなければ、外では決して生きては行けないんじゃないか。臆病なほど、生き残るには都合がいいことはわかりきっていることじゃないか。私がこの猫たちを意識せず、いつの間にかペット化させてしまっていたのか……。その結果、母猫は子を失い、毎回悲しい鳴き声を私が上げさせてしまう。同じ事を繰り返し、私はいつも同じ事を考えていた。

でも、最後は少し違っていた。

持病の腎臓病がひどくなり、アパートを引き払うことになった。子猫たちを外界に出して、同じ事の繰り返し、同じ結果に落ち込んでいた夜のこと。いつものように猫が窓の網戸によじ登って「部屋に入れてくれよ」とアピールする。窓を開けた隙間から、母猫のほかに子猫が1匹。この子だけは生き残り、私と共に母子共にアパート最後の夜を一緒に過ごす。この親子は、最後の夜ということがわかっているのだろうか。私の気持ちは伝わっているのだろうか。

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数ヶ月後、引っ越したアパートの前を通りかかる。
母猫の後ろに付き添って歩く、成長した子猫の後姿をそこで目撃。今でも生きていることを確認する。その姿に安堵して、私は猫たちと暮らした思い出のアパートを久しぶりに覗き込む。まだ借り手の見つからないアパートの1室は、妙に懐かしく、猫たちの幻影がその部屋の中に見えてしまう。私は少しの間、猫と暮らした日々を、そこで回顧していった。

<1999年11月掲載>