ボランティア嫌い
ボランティアが「見返り」を求めちゃダメ?「報酬」の有無じゃないでしょう?


私が大学生だったころ、ある団体が夏休みに出していた「ボランティアリーダー募集」の告知が目に止まった。その団体が主催する小学生を対象にしたキャンプの班長を募集したものだった。子供たちとの触れ合いを文句にし、交通費はおろか、当然ながら報酬は一切出ない。いろいろ内容の説明を聞いているうちに、私はだんだん腹が立ってきた。主催した団体からはそのキャンプに誰も参加せず、事務的なことしかやらない。それが役割だと説明し、責任は団体側にないことを明言する。そのころちょうど、ボランティアの登録制度ができたり、ボランティアすることが評価された時代。世の中のボランティアブームに乗らなかった私は、ボランティアというものを、だんだん軽蔑するようになっていった。

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「ボランティア募集」という言葉が当たり前になってしまった。「これはボランティアですから」と、堂々と言い放ってしまう連中が大嫌いだ。ついでに言うと、「ボランティア(慈善事業)じゃないのだから」というような「ボランティア」という言葉の使われ方も嫌でたまらない。そう言いながらも、ボランティアという言葉をそういう意味で使うことが私もある。悔しいけれど、それがわかりやすいからなんだ。

ボランティアの「登録制度」というものができたとき、私はとてもあきれてしまった。しかも行政でこれをやるなんて……ショックは思いのほか大きかった。こんなものが必要だなんて、世の中どうかしているとさえ思った。なぜそう思ったのか、つまるところ、ボランティアに頼る「仕事」とは、一体何なのか。ボランティアとそうじゃない仕事の「違い」は何なのだ? ボランティアを募集して、ボランティアの仕事を用意して、仕事としてボランティアに依頼してやってもらう。ボランティアとそうでない仕事の違いが、私にはさっぱりよくわからない。

ある人に違いを聞けば、報酬が違うとか、見返りを求めないのがボランティアだとか、聞きたい答えが返ってこない。私が聞きたいのは、「仕事の違い」。役割という意味でもないよ(笑)。それは報酬・見返りを求められる仕事として認められないものなのか? 私から見たら仕事は仕事。ボランティアも仕事もあるもんか!だからといって、お金をくれ!と言いたいわけじゃない。私はあるラインで仕事をしてくれたら、お金払いますけどね(笑)。こう思うのも、そのラインが私と世の中では違うからなんだろうなぁ。

ちなみに、誤解を恐れずに言っときますが、私は現在のボランティアについて猛反対というわけではありません。たとえば、「30日間フィリピンで緑のボランティア(植林ツアー)募集」とか、わかりやすく書くと、参加者自身が実費を伴うものは理解できますし、ああ、これってボランティアかもって思えてしまう。というのも私、ボランティアって、痛みを伴うものと思っているからなのです。

たとえば、その植林ツアーの場合、現地の小学校で寝泊りしながら、現地の子どもたちと一緒に、30日間ほぼ毎日で苗木を植える。「なぜ木を植えるのか?」参加者を含め、一緒に植えている子どもたちはきっと疑問を抱くはず。その答えは参加した今時点では存在せず、実はその目的は今の子たちが大人になったとき、平気で木を切って売るような人たちにならないようにするため。そして同時に、今まで何も知らなかった参加者にそのことを教えるため。実体験を通して気づくことの大切さを教えるためだ。

聞いただけじゃ忘れてしまうが、見たらきっと覚えている。そして、自分でやってみたら理解でき、気づくことができたら、それを使うことができるはず。

ボランティアは、決して人員やコスト削減とか、そういった安易な目的で利用する・されるべき存在ではないものと、私の中ではそう位置付けられている。最初からあてにしちゃいけない。なぜなら、ボランティアって「奉仕の心」だと思っているから。 現実、募集しないと気づいてもらえないというのは、非常に悲しいことだけれど、自発的精神がボランティアなわけで、必要だと思うから手を貸すわけなのですよ。

もし、ボランティアスタッフを管理することも仕事という人たちへ、私はあえて言いましょう。金をもらっている以上、きちっと仕事をしろ。現場を見ろ。そして気づけ!ボランティアをしている人たちへ。仕事をする以上、責任はあるからな。その責任の重さに気づけ!お互いが一緒に仕事するわけなのだから、その辺は気づいて欲しいよなぁ……。

ボランティアだろうとなんだろうと、携わる以上は責任というものが嫌でも発生する。責任は与えられるものじゃない。誰にでも責任は付いてまわることなのだ。その責任ある仕事を、ボランティアにお願いするわけなんだから、それに見合った見返り・代償を払うのが当たり前。それは精神的な見返り・代償でもいいはずだ。そのための法的整備とかルール作りなら大賛成。報酬があるなしって言い訳は、ある部分で的を得ているとは思うけど、それでは気持ちよく仕事なんて出来ない。だって、ボランティアもやっぱり「仕事」だもの。ちょっと私は疑っているぞ!>現在のボランティアの扱われ方

<2002年1月掲載>