はるか遠く「どうにもならない」世界
やはり「どうにもならない」ことはある。でもそれは「今は」かな?


ある日、仕事の資料として「薬の本」を借りてみた。薬を手放すことができない今の私は、自分が服用している薬がやはり気になって、仕事のついでに自分が服用している薬について調べてみた。本には「服用中は、どんなワクチンでも接種してはいけません」、「細菌による感染症を誘発しやすい」、「薬の中でも使い方が最もむずかしいものの1つである」などと書いてある。イエローカード(国際予防接種証明書)が渡航の際に必要とされる地域へは行けない体なんですね、とほほほ……(涙)。

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世の中には、どうにもならないことがあると、頭ではわかっていたつもりでした。しかし、大抵のことは何とかなると、今でも信じているせいか、その事実に直面してみますと、想像するよりショックが大きかったりします。自分でどうにかしたいけれども、決して解決できない無力感……。しかし、未練がましい上に、あきらめが悪い私は、自分で何とかするしかない!と奮起しつつも、一方では他人に何とかしてもらおうとか思ってしまう、自分勝手なくせに他力本願な部分もあるヤツなんだなー(笑)。

昔、他人事ながら、どうにもできない上に、どうすればいいのか全く思いつかなくて、とても悩んだことがありました。悩んだとしても、大抵のことなら、何かしらの希望が見えたりするわけですけれども、そのときはもう目の前が真っ暗、頭の中は真っ白というような、物すごいショックを受けたのです。

その人は将来を嘱望された在日朝鮮舞踊家で、その実力が認められ「世界公演ツアー」の話が持ち上がりました。その人は行きたいと願っていますが、国籍が朝鮮のため、日本で生まれ育ったにもかかわらず、私たちのように自由に海外へは出られません。海外へ出るには、日本政府から「再入国許可」なるものをもらう必要があるらしく、それをパスポート代わりにして海外へ出て行くそうです。それでも現在の朝鮮籍では行ける国が限られています。その人は、韓国の古典舞踊習得のために大阪を訪れていました。朝鮮籍なので韓国へ習いに行きたくても行けません。ですから、韓国籍を持つ大阪の先生のところに通っていたのです。

ある日、その人たちと一緒に韓国料理店に入って、食事をしながらの楽しい会話をしたことがありました。その人は以前、北京で行われた民族舞踊コンクールで優秀賞を獲得し、実力を認められてそのまま北京へ留学をしました。そこで中国の民族舞踊を習得、そのときの感動、喜びなどの経験を話してくれました。大阪の先生は韓国古典舞踊の話を、私は今まで仕事で携わってきた日本舞踊などの話をしました。

その時の私は無知過ぎて、不用意にも、「海外へは出ないのですか?」なんてことをその人に聞いてしまったのです。一瞬うつむいて、その人は答えてくれました。北とか南ではなく、半島で羽ばたく舞踊家になり、朝鮮舞踊のすばらしさを伝えたい。先生はその人を「民族の誇り」と言い、広い世界に出なさいと語り出したのです。しかし、そのためには国籍を朝鮮から韓国、または日本に変えるしか方法がなかったのです。

パスポートがないのなら、つくれるようにすればいい。世界へ出るにはこれがベターだと私も思いました。その人もそれはわかっていましたが、決断できないように見えました。朝鮮籍から韓国籍に、または日本に帰化を申請する。国籍を変えることは、自分のルーツを否定し、家族を裏切ることにもなる。裏切ること、迷惑をかける人たちが好きだから悩み、その想いは強いのです。このときほど私は自分の非力さを実感したことはありませんでした。実際、手を伸ばして触れることができる距離にいるのに、触ることだけではなく、声も届かず姿も見えないくらい遠い人に思えました。少なくとも私の中では、一瞬にして足元の大地が裂け、その人との距離がはるか遠く、何かに吸い寄せられて行くような勢いで、私の方から離されて行くような錯覚に陥ってしまったのです。

これはものすごくショックでした。これは政治、国交の問題で、すぐにはどうにもなりません。まして朝鮮籍=北朝鮮なのだからということもありましたが、それよりも、全く手も足も出せない、出すことができないことが衝撃でした。どんな言葉も出てこなかったのです。

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あれから約2年後、私はその人のリサイタルを見るためにソウルの劇場を訪れていました。そのままの国籍で、その人は韓国政府から特別に招かれたのです。そうか、そういう方法もあるのかと、私は驚嘆しておりました。政府を動かしたのは多くの人々です。もちろん、その人に力があるからなのですけれども、それだけでは願いが届くはずもありません。天が味方をしたのでしょうね。韓国の大統領が代わり、時代も変わっていく。今までは、道は自分で切り開いていくものだとばかり思っていましたが、それだけでは無理なこともある。そもそも全く無理なことかもしれない。でも、人を動かすにはそういったことが必要で、状況を変えることの1つにしか過ぎない。もちろん、これがなくては話になりませんけれどもね。

再び、どうにもならないことに直面した私ですが、ショックを受けたのは一時的で、30分後にはあきらめがついていました。治ることは決してなく、そのために行けないところもある。それは悲しいことですが、今はどうやっても無理なのです。自分だけでは解決できないことですけれども、私は「今」を問いませんし、その必要はないと考えるようになりました。病状を今のまま維持することはできないでしょうけれども、維持しているように見せることはできるかも。ゆるやかに下降していくグライダーのようになればOKかなと。ひょっとしたらその間に、医学や医療レベルが上がるとか、時代が変わるとかで何とかなっちゃうものかもよ(笑)。私が世界放浪の旅に出たら、もう駄目か、それとも何とかなったということと思ってね。まあ、今はこんなことを言ってても、そのときになったら変わってしまうかもしれないんですけれども。

<2000年4月掲載>