旅の経験を生かしたい
旅で得た「感覚」を、生活の中にどうやって生かしていくのだろうか?


デジャヴュじゃなくて、前にも似たような事があったな~と思ったことありませんか? あの経験をしていたから今の私があるんだなって感覚。旅に限らず、仕事でも実生活でも、場所やシチュエーションが違っても、不思議とリンクを感じる瞬間。そして時にはハッとさせられる瞬間。うれしかったり、悲しかったり、悔しかったりと、まあいろいろ。今まで生きてきて、たいした経験はしていないけれど、それでも役に立っている経験って、きっとあるものです。

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旅行に出ると気分がいい。なんだか気持ちがなごやかなのだ。普段は無愛想な私も、この時ばかりはいい意味での“人間らしい”スイッチに切り替わり、「こんにちは!」、「ありがとう!」なんてスラスラ言えちゃったりするんだな。旅行にはそうさせる雰囲気があるようだ。極端に言えば、忙しい都会の中で、機嫌の悪い人や、ぶつかっても謝らないような人がいないように見えたりする。もちろんこれは錯覚で、実際は世の中そんなに甘くはない。でも、不思議と許せてしまう私になっている。スイッチが切り替わった私自身に後々になって驚いたなぁ。ああ、普段もこの状態だったら~と思う日々ですな(笑)。

先月、都内の宿へ向かうため、地図上の最寄駅で降りました。駅の出口は宿の反対方向、土地勘のない私には駅周辺の道は難しく、慎重に地図と見比べながら道を歩いて行きました。

交差点で信号待ちしている間に地図を広げたり、路上の住居表示板を見ている私に「Excuse me ?」と声をかけるアメリカ人。探している宿が私と同じところであるということがわかり、2人でお互いの地図を見比べながらの宿探しが始まった。場所はすぐにわかったのですが、広い敷地の一部にある宿への近道は工事中で通れず、警備員に入口を聞いて、来た道を逆戻り。聞いた通りに道を進んで、ようやく入口に。そこから広い敷地内の施設で宿のカウンターの場所を尋ねてようやく到着。

しかし、チェックインタイムの1時間前だったので部屋で休めず。宿を探す道中で、チェックインは○時で、門限は○時らしいという話をしていたので、すんなり諦めはついたけど。アメリカン人はチェックインしてから友人と待ち合わせ、私は待ち合わせの時間が迫っているので、チェックインを待たずに出かけることに。別れ際にそのアメリカ人から英語とカタコトの日本語で感謝の言葉をいただいて、やたらと感激してうれしかった。私はつたない日本語とブロークンな英語で応えてみる。アメリカ人もちょっと照れくさそうだった。

考えたら、以前はこんな感じの出会いを楽しむ余裕は全然なかった。だいたい外国人の言葉が聞き取れないので即パスだった。ところが今では、聞いた言葉を少しは判別できるようになっているし、会話と呼ぶには程遠いけれど、ちょっとした単語を使っての言葉のやり取りくらいなら、ビクビクすることも少なくなった。見知らぬ人に道を尋ねることも昔はまったく出来なかったしね。それよりも、いつの間にか気持ちに余裕が出来ていたことに驚き。以前なら、どうしよう?と困ってしまい、自分の事しか考えていなかった私なのに、今では、こうしたいのかな?なんて、相手の事を考えていたりするのです。

以前と比べて変わってしまったのは何ゆえなのだろう?などと考えてみたら、今まで出会ったいろいろな人を思い出していました。あの人は親切だったなとか、元気にしているだろうかとか、申し訳ないことしたなぁ等々。地元の人にやさしくされたり、見ず知らずの私をもてなしてくれたり、ちょっとは悲しいこともあったけど、そんなことがあったから、旅人にはやさしくすることで「恩返し」しているというか。いろいろな経験を積み、たくさんの影響を受けて、成すがままにこうなったのだろうな。

たいした旅はしていない私ですが、臆病者なりの度胸や知恵が少しはついたのかな。視野が広くなるっていうのと同じことかな? たいていのことには驚かなくなったというか、ん? ちと違うかな?

今までは、驚いた後に、「私とは違う」とか「そんなことは信じられない」などというような感覚、隔離・拒絶の反応が圧倒的に多かったのですが、あちこち旅して、たくさんの人に出会って、いろいろ体験を重ねていくと、新しい発見に驚いた後にくるものは許諾の反応。たいていのことは冷静に受け止められるようになっていましたね。ただ、この感覚が実は旅の効能なのか、それとも年の功っていうものなのかは私にはわかりません。とにかく、経験を積んで得た感覚なんだろうなーと。

たいていのことは受け止められるようになっていたと書いたけど、あくまでもそれは、以前に比べてという程度。それに、何でも受け入れられるわけではありません。大海のような心がやたらと広いわけじゃない(笑)。そうなれるといいな~と思いながらも、一方では拒絶してもいいとも思っています。じゃあ何なんだ?って問われると、ちと答えに困るけど、今の私が出来る限り・許せる限りで応えていきたい。もちろん、少しずつ応えられる範囲を広げていきたい。今よりもずっと、やさしくなりたい私です。

<2000年1月掲載>