出会いはいつも運まかせ
旅先の「出会い」は難しい? 巷では、こんなに「出会い」が溢れているのに?


よく、「いろいろな人と出会えて、いいですね」とか言われる。う~ん、ひとり旅が多い私は、ある意味そういった機会に恵まれてるかも?…って言うかぁ~、だいたい、スケジュールがキッシリ詰まっている旅程って組んだことがないし、団体で旅行したこともあまりないもんなぁ(笑)。ん? 団体旅行って、出会いが少ないのかな? 関心事が団体内に向いてしまいがちだから? それともスケジュールの問題? なんとなくわかっているような、わかってないような…。出会いなんて、あちこちに溢れてると思うのだけどなぁ。

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以前、「旅行は普通、ひとりで行くもんじゃないでしょ?」って言われたことがあります。最近はそうでもありませんが、言われた当初、私は「え?」って感じでした。なぜひとりで行くものではないのかということを、よくよく聞いてみると、その理由のひとつに「ひとりは寂しいから」というものがありました。「旅先では(気軽に)話せる相手がいない」ということも言っていましたね。う~ん、そりゃ、その通りだ(笑)。で、その話の引き合いに「あなたは旅先でいろいろな人と出会えるからいいけど」なんてことを言われたりしちゃうのです。別に、私だから特別に出会えるわけじゃないんでないかい? それに、出会えたとしても、楽しいことばかりじゃないし、寂しさが余計に感じられる時もある。失礼な言い方なんだけど、私はたいした旅も出会いもしてないぞ!
(旅先で出会った人に対して、ごめんなさいっ!って感じもする発言だなぁ、コレ……)

そうこう話しているうちに、ひとつ気になったことがありました。それは、ひょっとして「出会い」に、過剰な期待を持たせているのでは?ということです。かくいう私も期待はしているのではありますが、出会いはキッカケにしか過ぎないので、それからが問題かなーと。それは「これからこの人と、どう付き合っていこうかな」って話だと思うのです。旅先の出会いが、それだけで無条件に人生が変わっちゃったりするなんて思うことが許されるのは、小学生くらいなもんです。出会いはそれだけでは「おとぎばなし」にもなりません。

空港や駅の待合室など、たまたま隣の席になった人とよく会話したりします。最初は隣ではなかったけれど、お互いに目があって隣に座る人もいますし、私から、ちゃっかり座ったりもします(笑)。会話なんて、たわいもないことを話すだけです。「どこへ行くの?」始まりはそんな会話がほとんどで、何も特別な話をするわけではありません。ある時は、喫茶店の奥から私に声を掛ける人もいましたし、現地の人に道をたずねたり、向こうから「どうしたの?」とたずねてくれたりもします。「出会いが向こうからやってくる」と、誰かが言った言葉がありますが、私もその通りだと感じています。たとえ、アプローチが私の方からだとしてもね。

出会いが向こうからやってくるというのは、きっと、思いがけないからなのだろうなぁ。まあ、出会い自体が思いがけないものなのだけど(笑)。そして、それは運次第なのかも。スポーツの世界では、「運を呼び寄せるのも実力のうち」なんて言うけれど、その実力ってなんだろう? 私は「わからないもの」だからそれを「運」と言っているだけ。どうにもならないものが運だし、どうにかなったら運じゃないとさえ思っています。いや、そもそも、どうにかなったとしても、それが運のせいなのかはわからんだろうなぁ(笑)。

でも、旅の出会いは、なんと言えばよいのか困るけど、とても「難しい」もの。こちらがあまりにも警戒したり、慎重になりすぎたりすると、きっと、素敵な出会いを逃すことにつながるだろうし、かと言って、あまりにも無防備だと、最悪な出会いを呼び寄せてしまうことにもなってしまうだろうし。そこはもちろん、知識や経験で判断するのだろうけど、どこで線引きをするのかは難しい。最後には自分で考えて決めなくちゃいけない。

以前、ソウル行きの飛行機の中で、全州へ行こうと誘ってくれた見ず知らずのご老人の言葉に、悩んだことがありました。果して、ついて行って大丈夫なのだろうか?という不安と、ついて行きたい欲望に。一般的な常識では、知らない人について行ってはイケナイと、そう私は教わってきました。あの時、もし私がひとり旅ではなかったら、ついて行かなかったかもしれません。ひとりだったからついて行くことにしたのです。その時はちょっと理由があって、行くあてがなかったということと、何かあったらなんとか切り抜けられるだろうと。相手がご老人ということもありました。いざとなったら殴り倒してでも…なんて、ヒドイことも考えていたのです(笑)。

旅に限らず、出会いは巷に溢れているけれど、どうにもならないものだから、その瞬間を大切にしたい。出会いはこれから起こることの始まりに過ぎない。だから、これからどうするかがやはり問題。それは自分で考えて判断し続ける応用問題なのだと思うのです。それをどのように解いていくのかは、その人の力量と運次第かな? でも、はっきり言えることは、出会いの瞬間は変えられないけれど、それから先の未来は変えられる。あれは良い出会いであったと思えるようにすることは可能なのだと思うのです。まあ、だいたい人というのは自分にとって都合が悪いこと・どうでもいいことは忘れてしまうものですから(笑)。忘れなくても、出会いとは認めない・認めたくない、なんてこともあるんじゃないかな。せっかくの出会いも、もったいないですよね~。

<1999年10月掲載>