ボッてボラれて
よくいわれる「ボッタクリ」って、一体何が悪いのだろうか?
今から2年くらい前、香港のホテルが日本宿泊者に対して二重価格を設定していたといわれる新聞記事を読んでみた。実はこの記事の内容に、私はなんだか妙な違和感を持ってしまったひとり。この二重価格の一体何がおかしいの? いけないことなの? それはがめついことなの? なんだか日本人って、被害者意識が強いのかな?なんて思ったり…。
まだ記憶に新しい方もいるのではないかと思いますが、記事の内容は「香港のホテル料金に、日本人と日本人以外を区分する二重料金があることがわかった」、雑誌の記事には「香港にはリピート客を楽しませる魅惑の場所がたくさんある。ただし、これも浅ましいほどの香港商法がなくなったらの話だが」なんて書かれていた。これを書いた人たちは、ものすごく腹が立ったのだろうなぁ。で、この記事によると、香港のホテル協会は、「日本人は送迎などを含むパッケージなので、高いのは当然である」とコメントし、調査を依頼された香港の行政長官も、差別はなかったと発表したそうな。
ところが、その1月後くらいに、他の新聞記事では、「香港の高級ホテルが旅行代理店に提示した価格表をみると、「東南アジア」「日本人団体客」などの分類がしてあった」、「日本人は5~6%高く設定されていた」と書かれていた。この話はホテルだけにとどまらず、「航空会社の香港―日本線はドル箱路線といわれ、距離的に他のルートより割高に設定され、航空会社の収益源とされてきた」さらに、香港の新聞で記者の2人が、ひとりは日本人観光客、ひとりは中国大陸からの観光客を装って、丸1日の香港観光をしてみるという企画を記事にした。同じ物に乗ったり・食べたり・買ったりした結果、日本人が37万6千円で、中国人より2万5千円(7%くらい)高かったそうだ。
だいたい1日でそんなにお金を使うことは普通なのだろうか?という疑問はさておき、香港商法について攻撃的な記事の文言を並べてしまいましたが、これをボッていると断定できるのでしょうか? 航空会社に対しての記事は、たとえば同じ距離なのに割高に設定されているというのは単純に納得しにくいことなので、これはボッているかもと思えてきますが、私にはこれらの記事に書かれている香港商法が浅ましい・卑しいというようには思えず、むしろ当然じゃないの?と思えるのです。そんなに目くじら立てるほどのことなのか?と感じてしまうのは、これが「商行為」そのものだと思うからなのです。
たぶん、これらのことで怒っている人たちは、「価格通りに売れ!」ってことなのだろうな。かつて私もそう思っていたのでありました。貧乏人だろうと、お金持ちだろうと、物の価値は同じはずだから、そうするべきだと信じてきました。ところが、社会人になって、どうも世の中は違うぞと思えてきました。まして、世の中の商行為のカラクリといいましょうか、そのようなものが見えたとき、これは日常的に私たちはボラれているとさえ思いました。ただ私たちは今までそれに気がついていないだけでね。
みなさんは(日本における)定価や表示価格の半額以下が商品のコストであること、そしていくつかの流通を経て、値段が膨れ上がることは、すでにご存知かと思います。この値段は取引される量によって変化し、取引が多いお得意様には当然安くなるわけです。だって、いつも買ってくれるのだもの(笑)。そこには商品を提供する側と顧客の間に共通の利益があることを納得しているからなんですね。
よく、地球の歩き方などのガイドブックに、読者投稿で屋台でボラれた話しとか、「外国人料金に激怒!」とかありますよね。そんでもって、「日本人はなめられている」とか、「相場を知らな過ぎる」とか書いてあったりします。この「なめられている」という感情はどこから来るのでしょうか? つまるところ、旅行が出来るほど自分がお金持ちであるという感覚がないからなんじゃないでしょうか? 私だって自分がお金持ちだなんて思いません。しかし、他者から見れば、そう見えてしまってもおかしくはない。まして、多くの日本人旅行者は私が見てもお金の使い方が派手です。普段の生活では見せないような使い方をする人もいます。こういうのを見たら、「あの人はお金持ち」、「日本人はお金持ち」と思われても不思議ではありません。よって、私だってちょっと高めのプライスを提示しちゃいます(笑)。
「相場を知らな過ぎる」っていうのも何か変だなぁと思うのです。だって、相場であるからして、それは常に変化するわけなんだから。決まっていたら相場じゃないよね(笑)。これを「およその目安を知らな過ぎる」と解釈しても、目安であるからして、その上下の価格の幅は存在することは、みなさん承知のことだと思っていました。この目安というものは当然、他人から見て計ったものです。先に述べた「お得意様には安くなる」ということも同じです。お得意様はつまり「顔なじみ」ということで、実績も信頼関係もあるわけです。「日本人旅行者」と単純に「ひとくくり」に言ってしまえば、お得意様であることは違いありませんが、そのひとりひとりが「顔なじみ」ではありません。少なくとも私は、信頼関係がない人にサービスをするのは納得がゆきませんし、それを要求するのも失礼なんじゃないかなと思うのです。
話は変わりますけど、欧米人はお金にシビアな方が多いです。私には、ボラれることには異常なまでに反応しているように見えます。まさに「価格通り売れ!」という感じです(笑)。香港で乗合バスに欧米人と乗ったとき、そのバスには丁寧に価格表まで提示してありました。そこには、いわゆる外国人料金と一般料金の2種類が提示してあったのです。私は外国人だからその料金を払えばいいのだな、と納得していたのですが、欧米人の方は「私たちはだまされているんだ!」とか言って、頼んでもいないのに、一般料金との差額を取り返してきてくれました(と言うか、コレは値切ったということか?)。その差額はべらぼうな金額ではありません。私にとっては気持ち程度の金額だったのです。欧米人にはチップの習慣があっても、こういう気持ちはないのかな?なんて思ったことがありました。もとい、チップの習慣があるから、理不尽に思えたのかな?
ついでに書いておきますが、私の仕事には定価というものが一応存在しますけど、これは目安に過ぎません。相場はありますが、相手の条件や予算によって多少の上下を発生させます。もちろん、「顔なじみ」には少しの融通も利かせます。取り扱う商品には定価というものが存在しますが、定価通りに売るときもありますし、それより安く商品を出すときもあります。これは仕入れ値によって判断しますし、「顔なじみ」によっては変えています。場合によっては現物取引でも手を打ったりもしています。相手によって価格を変えるという行為に、それほど違和感がないわけなのです。普通の人からしたら、困るなぁ…なんて思われるかも知れません。しかし、よくよく考えてみると、そういった行為は商行為だけでなく、普段の生活の中で私たちは常にやっているのでありました。人間関係とか交友関係なんてものが、わかりやすいその例ですよね。
話が長くなりましたが、そんなこんなで、私はボッたりボラれたりすることには鈍感になっていきました。というか、不当な行為であると感じる範囲が狭くなったというのかな? そのくらい、許してやれよ~って感じなんだな(笑)。でも、何倍にもボラられたら、詐欺じゃねーかっ!とか思ってさすがに怒りますよ、きっと(気が付いたらね)。結局、そのあたりの線引きが人によって違うんでしょうねぇ。。。