病気持ちでも旅には出たい
持病があるから「旅行は無理」って、誰が言ったの?


自慢にはならないことだけど、実はこれでも私、「病気持ち」なのです。私の病気が発見されてから15年以上も付き合ってきたことになります。このまま、セオリー通りに順調(?)に病気が進行してゆくと、身体障害者と認定されることは間違いありません。この難病は、病因が不明で根本的な治療方法も確立されておらず、その都度あらわれる症状を押さえることしか出来なくて、決して完治することはない。でも、昔は絶対に助からなかった私の病気も、医療が進歩した現代では救命が可能となり、自己管理によって、ある程度の回復、病気の進行を抑制させることは出来るのです。

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昨年の夏に入院し、寝たきりの絶対安静状態になってしまった。見た目にはなんともない上、自覚症状に乏しい私は、この状態にかなりショックを受けてしまった。身体が動かないわけでもないのに、起き上がることも禁止され、看護婦さんに介助してもらう日々。食事も、看護婦さんに食べさせてもらう事になり、その時の会話で旅行の話題になった。

「この病気は行動を制限されるから、(病気が)進行すると旅行もできなくなるよ」
「あまり動き周らなければ(移動が多くなければ)いいのかな?」
「パッケージツアーは移動が多いから、身体にはすごい負担になるよ」
「じゃ、滞在型での~んびり過ごせるヤツならいいのか?」
「感染症にかかると、病気が一気に進行するから、自己管理も大変だよ」
「う~ん、それはなにも、旅行に限ったことじゃないよね?」

ああ、なんだか、ああ言えばこう言う状態の看護婦泣かせの悪いヤツだ(笑)。

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よく、なんらかの障害を持っている人が、旅行だけでなく、何かをするというと、いわゆる普通(健常者)の人は、とても大変なことに思えるようだ。まあ、そう思えるのは無理もない。私だってそう思ってしまう。だって、そういう状況が普段からないわけで、当然、普通の人にとっては、当たり前ではないのだから、想像したり理解するのが精一杯なのだろうなと思っている。それは仕方がないことで、これは自体は問題ではない。むしろ、心配してもらっているので、ありがたいくらい(笑)。で、問題は何なのか? なんらかの障害を持っている人が、何かをしようとする場合、(介助する)周囲の人々が意見を持ってくる。そこまでは許せるが、そこから先が問題なのだ。

人というのはどうしても、自分の中で他者を分類するために、偏見・レッテル貼り・決め付けというような行為をやってしまうものだと思う。何かの条件を見つけて、特別扱いしたり、諦めたり、時には排除・封印してしまう。よく、そういうことをしてしまう人だけが悪いのではなく、される方も悪いというようなことが言われたりするのだけど、そんなことより、私はそういうことが当たり前になっている社会とか環境といいますか、他者の決めた分類をそのまま受け取って、それをそのまま何も考えず、自分の分類にしてしまうことがいけないんじゃないかなと。まあ、いわゆる人の評価って、他人の目から見た評価ですからね。どうしたって、目に見える事や、条件とかに捕らわれてしまうわけだ。そんでもって、「普通」とか「一般論」という標準値を持ちいてしまうのだな。楽だもんね、目安があるっていうのは。

よって、目に見える形で障害を持っている人は、その特徴で見られてしまう。目に見えない障害を持っている人は、「普通」と思い込まれてしまい、それと単純に比較されてしまう。私はいっそのこと、私の病気が目に見えてくれればいいのにと、思うことが多々ある。その方が「諦め」もつくってもので、その諦めるというやつは、その目的とか何もかもを捨ててしまうという意味ではなく、手段・方法を「変えてみる」っていうこと。よく考えたら、基本的に障害を持っているわけで、いわゆる「普通」ではないのだから、それにとらわれる必要はない。だったら、そんな「普通」という言葉を捨ててしまえばよいのだな。だって、「普通」じゃないんだもん(笑)。

かと言って、あの人は特別なんだ~、だからああいうことが出来るんだ~、だから、理解しようとしなくていいんだ~なんて、思わないでね。「普通じゃない」ということは、その問題を考え続けるということ。存在をそのまま受け入れて欲しいって言えばいいのかな? 受け入れるということは、なにも賛成するとか、認めるとかいうことではなくて、受け止めるだけでもいいと私は思っています。決して封印したり、目をそらしたりすることじゃないよなーと。

たとえば、旅行をしたいという気持ちは、多分、障害者も普通の人も、変わりがないんじゃないのかな? そもそも、同じ人間なんだから、そう思ってもおかしくない。旅行する方法はきっとあるはず。ただ、選択の幅が少しばかり狭いだけ。かえって、迷うことが少なくて済むものかもね(笑)。

なんらかの障害を持っている人が、何かをしようとする時、(介助する)周囲の人々が意見を言ってくる。それはうれしい。でも、頼むから、決め付けないでくれ~と、声を大にして言いたい。まあ、結局は、自分自身が決めちゃうのだけどね。

<1999年7月掲載>