不自由な思いをする旅
旅先での「不自由」な経験はこれからの「肥やし」となるか?


そもそも、“travel”の語源には、困難の意味も含まれていると、何かの雑誌に書いてあった。人によっては、困難があるから面白い、という人もいれば、当然、トラブルは避けたいし、旅の妨げになるので嫌だと思う人もいる。私だって、トラブルは嫌。でも、そのトラブルから、見えてくるものがある。今まで感じることが出来なかった物事が、感じられるようになる。

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海外旅行に限ったことではないけれど、言葉がわからないとか、習慣がわからない等の、不自由な思いをしたことがある人は、たくさんいると思う。だって、いつもの日常とは勝手が違う訳だからね。思い通りにならないことに苛立ってしまうのは仕方がないさ。時々、「どうして、こんな思いをしなければならないの?」って思うときがあるよね。

電車やバスに乗るために、切符を買わないといけないけれど、どこで切符を買うの?とか、切符の自動販売機があるけれど、この機械の使い方は?とか、うまく乗れたとしても、降りる時はどうするの?なんてよくあるし、レストランで注文するだけなのに、ものすごく苦労したりと、今まで出来ていたことが出来なくなる。他に、旅先で病気になるとか、どうして~?って言いたくなってしまうことは、よくあるもんだ(笑)。

例えば電話。予備知識がないままに、ソウルで市内に電話をかける用事が出来てしまった。待ち合わせの地下鉄駅で公衆電話をかけようとし、列に並び順番を待つ。持ち合わせのコインで、なんとかなるだろ~と思っていたら、この駅にある公衆電話は、テレホンカードしか使えないタイプだと言うことが、自分の順番になって初めてわかった。

駅の売店でテレホンカードを買おうと安易に思ったが、お店は閉まっていた。仕方なく駅の外に出て、コンビニに駆け込み、「I'd like to buy telephone card.」と、言ってみたものの、私の発音がイマイチなのか、それとも、お店の若いお姉さんが、ただ単に英語がわからなかったのか、結局、ジェスチャー付きでようやく理解してもらい、テレホンカードを購入することに。再び駅に戻り、いつも(日本式)のようにテレホンカードを入れると、電話がかからない上に、機械にカードが飲み込まれたまま出てこない。どうして~?と、ひとりパニックに陥り、そばにいた現地人に助けを求める。テレホンカードは無事に戻り、恥ずかしい思いをしながらも、再び公衆電話の列に並ぶ。電話をかける現地人の様子を見てみると、電話のかけ方の手順が違うということはないようだ。

一体、何がイケなかったのか? 答えは簡単だった。この公衆電話のテレホンカードの磁気の読み取り面が、日本の公衆電話とは逆なのだ。この公衆電話の場合、テレホンカードの絵の部分(表面)を下に、磁気面を上にすれば良かっただけ。カッコ悪い旅行者だね(笑)。

この場合、何が不自由なのか?って言うと、今までの常識が通用しないってことかな。それしか知らなかったから、こんな目にあってしまった訳だ。でも、これは不幸でもなんでもない。強いて何が不幸なのか?と聞かれれば、それしか常識を持ち合わせていなかったということだろうか。

ほかに、言葉が通じないから不自由なんだってのが思い浮かぶ。そりゃそうだ。お互いに分かる言葉で会話が出来ないというのは、ものすごく不安。言葉が通じないというもどかしさは、どうしようもない(笑)。だから、これは諦めるしかない。だからと言って、それは“話さない”ということじゃないんだ。伝える努力はしないとね。そうしないと相手にされないもんなのさ。何とか形にして伝えるってことが大切と思う今日この頃だったりする(笑)。しかも、こういった経験は旅行でしか経験できないわけじゃない。少しずつ、確実に自分の「肥やし」になるはずだと思うし、それを基に、見えるもの・感じられる物事の幅が広くなるんじゃないかな~なんて、思ったりする。

トラブル続きの果てに、素晴らしい出来事に出会った時の面白さもある。最低だと思った体験が、のちに振り返ったら相当面白かったということも旅行ではよくある話しだ。トラブルは嫌だけど、なってしまったものは仕方がない。そんな時は諦めて、切り抜けることを楽しみたい(笑)。こう書くと、はじめから「いいとこ取り」だけしようとするのは、なんだかもったいないって思えるのは、私だけだろーか?

<1999年6月掲載>