旅への想いはそれぞれに
ひとりで旅行に出かけることって、あまりしないものなの?


これは何かの本に書いてあったのだけど、旅とは古来、お参りの旅か、追う・追われる旅だったらしい。大昔から生きてたわけじゃないから、絶対そうだとは断言しないけど、そう言われてみると、そんなような気がしてくる。庶民が堂々と旅に出かけられるのは、もちろん前者のお参りの旅。そうじゃないと行けないものだったのかな?

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「え~っ!? 旅行は普通、一人で行くもんじゃないでしょ?」
韓国から帰ったある日、東京の居酒屋で待ち合わせた友人の言葉だ。

今までにその友人から言われた言葉ってわけじゃない。結構まわりからそう言われたりすることがある。「一人で行って、何すんの?楽しいの?」というようなニュアンスが多いように感じる私。人によっては、「ツアーに入れない」、「パンフレットに一人部屋ってないじゃん(←あるけど)」とか、「ひとりは危険だ!」などと、とにかく「普通はそうじゃないだろう!」と訴えてくる人もいる。

私の旅行は計画性というものが皆無で、基本は現地に着いてからの思い付きで行動していることがほとんど。まあ、会社員として働いているので、休暇を取る関係であったり、非常に限られた日数で旅行に出かけて、確実に帰って来なければならない関係などで、計画を立てざるを得ない部分はあるのだけれど、旅先での過ごし方とか、観光する場所をあらかじめガッチリ決めるようなことはしない。せいぜい、何時の飛行機で行って帰ってくるかとか、「始まりと終わり」だけを事前に決めていることくらいしか本当にない。

目的もシャープじゃないことが多い。漠然と“海”だったり、“焼肉”だったりして、「どこで何をしたい」というような明確なものがあまりなかったりする。まあ、まったくの不明瞭ってわけじゃないのだけれど。そんでもって、ひとりで旅行に出かけることがほとんどである。

もちろん、誰かと一緒に出かけて、そこで何かを分かち合うことは楽しい。楽しみを共有できるし、それは否定しない。でも、それだけじゃ、何か楽しみを半減させられたような感じがする。それは、いろいろなものを見聞きし、様々なものを自分なりに受け止めて、ある感覚を得るには、「ひとりでいる」ことの方がいいように思えるからだ。
まあ、結局は馴れ合う感じがあまり好きではないんだろうなぁ。特に、似たような個性・価値観の集団っていうのかなぁ、そう見えたり、思えてくると、何だかわからないけれど、えらくキモチ悪くなって、その場から逃げ出したくなるんです、私ってヤツは(^^ゞ。

でも、ひとりで旅行に出かけると、誰でもいいから話しをしたい、聞きたいと思うときがある。よく考えたら、その寂しさを感じること、「自分はひとり」という感覚を味わうことも目的の1つなのかもねぇ。。。

それは何も、必ずしも「寂しい」という意味ではないと、私は付け加えさせていただきますが。(←と思っているのは私だけか?)それは、個人として生きる実感を味わえるというのかなぁ、自分が間違いなくここに「存在」しているという感覚といいますか。周りに埋没せず、同化しない、確かに1つの存在としていられる実感。「自分は違う」という違和感や優越感といったものではなく、違うものであっても同居できるというような感覚を覚えるのです。

その感覚は、新しい知恵や考え方、価値観等といったものを与えてくれる。今までの事にとらわれない、生き方を教えてくれる絶好の機会だと、私はそう考えています。
ひとりでモノローグに浸れる時間が、貴重なんだな~と感じる今日この頃だったりするのだな(笑)。

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「え~っ!? 旅行は普通、1人で行くもんじゃないでしょ?」
世間一般的にはそうかもしれない。誰かと一緒だったほうが、何かと心強かったりするし、思い出も共有できるので、楽しい旅行になるだろう。
でも、「そればっかりじゃ、イヤなんだな~」と答えてしまう、結構わがままな私も、ココにはいるのでありました。

<1998年12月掲載>